しょ》となすと雖も、尽《ことごと》く斥《しりぞ》く可《べ》からざるものあるに似たり。忠徹も家学を伝えて、当時に信ぜらる。其の著《あら》わすところ、今古識鑑《ここんしきかん》八巻ありて、明志《みんし》採録す。予《よ》未だ寓目《ぐうもく》せずと雖も、蓋《けだ》し藻鑑《そうかん》の道を説く也。※[#「王+共」、第3水準1−87−92]と忠徹と、偕《とも》に明史|方伎伝《ほうぎでん》に見ゆ。※[#「王+共」、第3水準1−87−92]の燕王に見《まみ》ゆるや、鬚《ひげ》長じて臍《へそ》を過《す》ぎなば宝位に登らんという。燕王笑って曰く、吾《わ》が年|将《まさ》に四旬ならんとす、鬚|豈《あに》能《よ》く復《また》長ぜんやと。道衍こゝに於て金忠《きんちゅう》というものを薦《すす》む。金忠も亦|※[#「覲」の「見」に代えて「おおざと」、第4水準2−90−26]《きん》の人なり、少《わか》くして書を読み易《えき》に通ず。卒伍《そつご》に編せらるゝに及び、卜《ぼく》を北平《ほくへい》に売る。卜多く奇中して、市人伝えて以て神《しん》となす。燕王忠をして卜せしむ。忠卜して卦《け》を得て、貴きこと言う可からずと
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