の将校官属を相せしめたもうに、※[#「王+共」、第3水準1−87−92]一々指点して曰く、某《ぼう》は公《こう》たるべし、某は侯《こう》たるべし、某は将軍たるべし、某は貴官たるべしと。燕王|語《ことば》の洩《も》れんことを慮《はか》り、陽《うわべ》に斥《しりぞ》けて通州《つうしゅう》に至らしめ、舟路《しゅうろ》密《ひそか》に召して邸《てい》に入る。道衍は北平《ほくへい》の慶寿寺《けいじゅじ》に在り、※[#「王+共」、第3水準1−87−92]は燕府《えんふ》に在り、燕王と三人、時々人を屏《しりぞ》けて語る。知らず其の語るところのもの何ぞや。※[#「王+共」、第3水準1−87−92]は柳荘居士《りゅうそうこじ》と号す。時に年|蓋《けだ》し七十に近し。抑《そも》亦《また》何の欲するところあって燕王に勧めて反せしめしや。其子|忠徹《ちゅうてつ》の伝うるところの柳荘相法、今に至って猶《なお》存し、風鑑《ふうかん》の津梁《しんりょう》たり。※[#「王+共」、第3水準1−87−92]と永楽帝と答問するところの永楽百問の中《うち》、帝鬚《ていしゅ》の事を記す。相法三巻、信ぜざるものは、目して陋書《ろう
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