に還《かえ》らしめぬ。燕王を首《はじめ》として諸王は皆|悦《よろこ》ばず。これ尚書《しょうしょ》斉泰《せいたい》の疎間《そかん》するなりと謂《い》いぬ。建文帝は位に即《つ》きて劈頭《へきとう》第一に諸王をして悦ばざらしめぬ。諸王は帝の叔父《しゅくふ》なり、尊族なり、封土《ほうど》を有し、兵馬民財を有せる也。諸王にして悦ばざるときは、宗家の枝柯《しか》、皇室の藩屏《はんぺい》たるも何かあらん。嗚呼《ああ》、これ罪斉泰にあるか、建文帝にあるか、抑《そも》又遺詔にあるか、諸王にあるか、之《これ》を知らざる也。又|飜《ひるがえ》って思うに、太祖の遺詔に、果して諸王の入臨を止《とど》むるの語ありしや否や。或《あるい》は疑う、太祖の人情に通じ、世故《せいこ》に熟せる、まさに是《かく》の如きの詔を遺《のこ》さゞるべし。若《も》し太祖に果して登遐《とうか》の日に際して諸王の葬に会するを欲せざらば、平生無事従容の日、又は諸王の京を退きて封に就《つ》くの時に於《おい》て、親しく諸王に意を諭すべきなり。然らば諸王も亦《また》発駕奔喪《はつがほんそう》の際に於て、半途にして擁遏《ようかつ》せらるゝの不快事に会
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