に人情に遠いかな。凡《およ》そ施為《しい》命令謀図言義を論ぜず、其の人情に遠きこと甚《はなはだ》しきものは、意は善なるも、理は正しきも、計《けい》は中《あた》るも、見《けん》は徹するも、必らず弊に坐《ざ》し凶を招くものなり。太祖の詔、可なることは則《すなわ》ち可なり、人情には遠し、これより先に洪武十五年|高《こう》皇后の崩ずるや、奏《しん》王|晋《しん》王|燕《えん》王等皆国に在り、然《しか》れども諸王|喪《も》に奔《はし》りて京《けい》に至り、礼を卒《お》えて還れり。太祖の崩ぜると、其|后《きさき》の崩ぜると、天下の情勢に関すること異なりと雖も、母の喪には奔りて従うを得て、父の葬には入りて会するを得ざらしむ。此《これ》も亦人を強いて人情に遠きを為《な》さしむるものなり。太祖の詔、まことに人情に遠し。豈《あに》弊を生じ凶を致す無からんや。果して事端《じたん》は先《ま》ずこゝに発したり。崩を聞いて諸王は京に入らんとし、燕王は将《まさ》に淮安《わいあん》に至らんとせるに当りて、斉泰《せいたい》は帝に言《もう》し、人をして※[#「來+力」、第4水準2−3−41]《ちょく》を賚《もた》らして国
前へ
次へ
全232ページ中42ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
幸田 露伴 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング