きて京《けい》に至るを得る無かれ、と云えるは、何ぞや。諸王の其《その》封国《ほうこく》を空《むな》しゅうして奸※[#「敖/馬」、UCS−9A41、268−4]《かんごう》の乗ずるところとならんことを虞《おそ》るというも、諸王の臣、豈《あに》一時を托《たく》するに足る者無からんや。子の父の葬《そう》に趨《はし》るは、おのずから是《こ》れ情なり、是れ理なり、礼にあらず道にあらずと為《な》さんや。諸王をして葬に会せざらしむる詔《みことのり》は、果して是れ太祖の言に出《い》づるか。太祖にして此《この》詔を遺《のこ》すとせば、太祖ひそかに其《そ》の斥《しりぞ》けて聴かざりし葉居升《しょうきょしょう》の言の、諸王衆を擁して入朝し、甚《はなはだ》しければ則《すなわ》ち間《かん》に縁《よ》りて起《た》たんに、之《これ》を防ぐも及ぶ無き也《なり》、と云えるを思えるにあらざる無きを得んや。嗚呼《ああ》子にして父の葬に会するを得ず、父の意《い》なりと謂《い》うと雖も、子よりして論ずれば、父の子を待つも亦《また》疎《そ》にして薄きの憾《うらみ》無くんばあらざらんとす。詔或は時勢に中《あた》らん、而《しか》も実
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