09、265−7]《そう》、晋王|棡《こう》は、皆燕王の兄たり。孫《そん》を廃して子《し》を立つるだに、定まりたるを覆《かえ》すなり、まして兄を越して弟を君とするは序を乱るなり、世《よ》豈《あに》事無くして已《や》まんや、との意は言外に明らかなりければ、太祖も英明絶倫の主なり、言下に非を悟りて、其《その》事|止《や》みけるなり。是《かく》の如き事もありしなれば、太祖みずから崩後の動揺を防ぎ、暗中の飛躍を遏《とど》めて、特《こと》に厳しく皇太孫允※[#「火+文」、第4水準2−79−61]|宜《よろ》しく大位に登るべしとは詔を遺《のこ》されたるなるべし。太祖の治《ち》を思うの慮《りょ》も遠く、皇孫を愛するの情も篤《あつ》しという可し。葬祭の儀は、漢の文帝の如《ごと》くせよ、と云える、天下の臣民は哭臨《こくりん》三日にして服を釈《と》き、嫁娶《かしゅ》を妨ぐる勿《なか》れ、と云える、何ぞ倹素《けんそ》にして仁恕《じんじょ》なる。文帝の如くせよとは、金玉《きんぎょく》を用いる勿れとなり。孝陵の山川は其の故《もと》に因れとは、土木を起す勿れとなり。嫁娶を妨ぐる勿れとは、民をして福《さいわい》あら
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