るごとに、其《その》詩|婉美柔弱《えんびじゅうじゃく》、豪壮|瑰偉《かいい》の処《ところ》無く、太祖多く喜ばず。一日太孫をして詞句《しく》の属対《ぞくたい》をなさしめしに、大《おおい》に旨《し》に称《かな》わず、復《ふたた》び以て燕王《えんおう》棣《てい》に命ぜられけるに、燕王の語は乃《すなわ》ち佳なりけり。燕王は太祖の第四子、容貌《ようぼう》偉《い》にして髭髯《しぜん》美《うる》わしく、智勇あり、大略あり、誠を推して人に任じ、太祖[#「太祖」は底本では「大祖」]に肖《に》たること多かりしかば、太祖も此《これ》を悦《よろこ》び、人も或《あるい》は意《こころ》を寄するものありたり。此《ここ》に於《おい》て太祖|密《ひそか》に儲位《ちょい》を易《か》えんとするに意《い》有りしが、劉三吾《りゅうさんご》之《これ》を阻《はば》みたり。三吾は名は如孫《じょそん》、元《げん》の遺臣なりしが、博学にして、文を善《よ》くしたりければ、洪武十八年召されて出《い》でゝ仕えぬ。時に年七十三。当時|汪叡《おうえい》、朱善《しゅぜん》と与《とも》に、世《よ》称して三|老《ろう》と為《な》す。人となり慷慨《こうが
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