ん》の漸《ようや》く逼《せま》るを如何《いかん》ともする無き者。而して、今万物自然の理を得、其れ奚《いずく》にぞ哀念かこれ有らん、と云《い》える、流石《さすが》に孔孟仏老《こうもうぶつろう》の教《おしえ》に於《おい》て得るところあるの言なり。酒後に英雄多く、死前に豪傑|少《すくな》きは、世間の常態なるが、太祖は是れ真《しん》豪傑、生きて長春不老の癡想《ちそう》を懐《いだ》かず、死して万物自然の数理に安んぜんとす。従容《しょうよう》として逼《せま》らず、晏如《あんじょ》として※[#「りっしんべん+易」、第3水準1−84−53]《おそ》れず、偉なる哉《かな》、偉なる哉。皇太孫|允※[#「火+文」、第4水準2−79−61]《いんぶん》、宜しく大位に登るべし、と云えるは、一|言《げん》や鉄の鋳られたるが如《ごと》し。衆論の糸の紛《もつ》るゝを防ぐ。これより前《さき》、太孫の儲位《ちょい》に即《つ》くや、太祖太孫を愛せざるにあらずと雖《いえど》も、太孫の人となり仁孝|聡頴《そうえい》にして、学を好み書を読むことはこれ有り、然も勇壮果決の意気は甚《はなは》だ欠く。此《これ》を以て太祖の詩を賦せしむ
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