じて、秦《しん》晋《しん》燕《えん》周《しゅう》等に王とし、其《その》甚《はなはだ》しきは、生れて甫《はじ》めて二歳、或《あるい》は生れて僅《わずか》に二ヶ月のものをすら藩王とし、次《つ》いで洪武十一年、同二十四年の二回に、幼弱の諸子をも封じたるなれ、而《しこう》して又|夙《はや》くより此意ありたればこそ、葉居升《しょうきょしょう》が上言に深怒して、これを獄死せしむるまでには至りたるなれ。しかも太祖が懿文《いぶん》太子に、七国反漢の事を喩《さと》したりし時は、建文帝未だ生れず。明の国号はじめて立ちしのみ。然るに何ぞ図らん此の俊徳成功の太祖が熟慮遠謀して、斯《か》ばかり思いしことの、其《その》身《み》死すると共に直《ただち》に禍端乱階《かたんらんかい》となりて、懿文《いぶん》の子の允※[#「火+文」、第4水準2−79−61]《いんぶん》、七国反漢の古《いにしえ》を今にして窘《くるし》まんとは。不世出の英雄|朱元璋《しゅげんしょう》も、命《めい》といい数《すう》というものゝ前には、たゞ是《これ》一片の落葉秋風に舞うが如きのみ。
七国の事、七国の事、嗚呼何ぞ明室と因縁の深きや。洪武二十五年
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