ょく》を投じて呉王《ごおう》の世子《せいし》を殺したることあり、帝となるに及びて、晁錯《ちょうさく》の説を聴きて、諸侯の封《ほう》を削りたり、七国の変は実に此《これ》に由る。諸子の為《ため》に此《この》事を講ぜんには、藩王たるものは、上は天子を尊み、下は百姓《ひゃくせい》を撫《ぶ》し、国家の藩輔《はんぽ》となりて、天下の公法を撓《みだ》す無かれと言うべきなり、此《かく》の如くなれば則ち太子たるものは、九族を敦睦《とんぼく》し、親しきを親しむの恩を隆《さか》んにすることを知り、諸子たるものは、王室を夾翼《きょうよく》し、君臣の義を尽すことを知らん、と評論したりとなり。此《こ》の太祖の言は、正《まさ》に是れ太祖が胸中の秘を発せるにて、夙《はや》くより此《この》意ありたればこそ、其《それ》より二年ほどにして、洪武三年に、※[#「木+爽」、UCS−6A09、257−9]《そう》、棡《こう》、棣《てい》、※[#「木+肅」、UCS−6A5A、257−9]《しゅく》、※[#「木+貞」、第3水準1−85−88]《てい》、榑《ふ》、梓《しん》、檀《たん》、※[#「木+巳」、257−10]《き》の九子を封
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