い》掉《ふる》わず、然《しか》して後に之が地を削りて之が権を奪わば、則《すなわ》ち其の怨《うらみ》を起すこと、漢の七国、晋の諸王の如くならん。然らざれば則《すなわ》ち険《けん》を恃《たの》みて衡《こう》を争い、然らざれば則ち衆を擁して入朝し、甚《はなはだ》しければ則ち間《かん》に縁《よ》りて而して起《た》たんに、之を防ぐも及ぶ無からん。孝景《こうけい》皇帝は漢の高帝の孫也、七国の王は皆景帝の同宗《どうそう》父兄弟《ふけいてい》子孫《しそん》なり。然るに当時一たび其地を削れば則ち兵を構えて西に向えり。晋の諸王は、皆武帝の親子孫《しんしそん》なり。然るに世を易《か》うるの後は迭《たがい》に兵を擁して、以て皇帝を危《あやう》くせり。昔は賈誼《かぎ》漢の文帝に勧めて、禍を未萌《みぼう》に防ぐの道を白《もう》せり。願わくば今|先《ま》ず諸王の都邑《とゆう》の制を節し、其の衛兵を減じ、其の彊里《きょうり》を限りたまえと。居升《きょしょう》の言はおのずから理あり、しかも太祖は太祖の慮あり。其の説くところ、正《まさ》に太祖の思えるところに反すれば、太祖甚だ喜びずして、居升を獄中《ごくちゅう》に終るに至
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