と。乃《すなわ》ち使《つかい》を発して兵を徴し、百八十万を得、将《まさ》に発せんとしたりと。西暦千三百九十八年は、タメルラン西部|波斯《ペルシヤ》を征したりしが、其《その》冬《ふゆ》明の太祖及び埃及《エジプト》王の死を知りたりと也《なり》。帖木児《チモル》が意を四方に用いたる知る可し。然《しか》らば則《すなわ》ち燕王の兵を起ししより終《つい》に位《くらい》に即《つ》くに至るの事、タメルラン之《これ》を知る久し。建文二年(1400)よりタメルランはオットマン帝国を攻めしが、外に在《あ》る五年にして、永楽二年(1404)サマルカンドに還《かえ》りぬ。カスチリヤの使《し》と、支那の使とを引見したるは、即《すなわ》ち此《この》歳《とし》にして、其《そ》の翌年|直《ただち》に馬首を東にし、争乱の余《よ》の支那に乱入せんとしたる也。永楽帝の此《この》報を得るや、宋晟《そうせい》に勅《ちょく》して※[#「にんべん+敬」、第3水準1−14−42]備《けいび》せしむるのみならず、備えたるあること知りぬ可《べ》し。宋晟は好将軍なり、平羌将軍《へいきょうしょうぐん》西寧侯《せいねいこう》たり。かつて御史《ぎ
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