公允《ゆこういん》の養うところとなり、遂《つい》に兪氏《ゆし》を冒《おか》して、子孫|繁衍《はんえん》し、万暦《ばんれき》三十七年には二百|余丁《よてい》となりしこと、松江府《しょうこうふ》の儒学の申文《しんぶん》に見え、復姓を許されて、方氏また栄ゆるに至れり。廖氏[#「廖氏」は底本では「※[#「やまいだれ+謬のつくり」、第4水準2−81−69]氏」]二子及び門人|王※[#「禾+余」、UCS−7A0C、395−2]《おうじょ》等《ら》拾骸《しゅうがい》の功また空《むな》しからず、万暦に至って墓碑|祠堂《しどう》成り、祭田《さいでん》及び嘯風亭《しょうふうてい》等備わり、松江《しょうこう》に求忠書院《きゅうちゅうしょいん》成るに及べり。世に在る正学先生の如くにして、豈《あに》後無く祠無くして泯然《びんぜん》として滅せんや。
節《せつ》に死し族を夷《い》せらるゝの事、もと悲壮なり。是《ここ》を以て後の正学先生の墓を過《よ》ぎる者、愴然《そうぜん》として感じ、※[#「さんずい+玄」、第3水準1−86−62]然《げんぜん》として泣かざる能《あた》わず。乃《すなわ》ち祭弔《さいちょう》慷慨《こ
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