いえど》も、希直の性の方正端厳を好むや、おのずから是の如くならざるを得ざるものあり、希直決して自ら欺かざる也。
 孝孺《こうじゅ》の父は洪武《こうぶ》九年を以て歿《ぼっ》し、師は同十三年を以て歿す。洪武十五年|呉※[#「さんずい+冗」、第4水準2−78−26]《ごちん》の薦《すすめ》を以て太祖に見《まみ》ゆ。太祖|其《そ》の挙止端整なるを喜びて、皇孫に謂《い》って曰く、此《この》荘士、当《まさ》に其《その》才を老いしめて以て汝《なんじ》を輔《たす》けしめんと。閲《えつ》十年にして又|薦《すす》められて至る。太祖曰く、今孝孺を用いるの時に非《あら》ずと。太祖が孝孺を器重《きちょう》して、而《しか》も挙用せざりしは何ぞ。後人こゝに於《おい》て慮《りょ》を致すもの多し。然《しか》れども此《これ》は強いて解す可《べ》からず。太祖が孝孺を愛重せしは、前後召見の間《あいだ》に於《おい》て、たま/\仇家《きゅうか》の為《ため》に累《るい》せられて孝孺の闕下《けっか》に械送《かいそう》せられし時、太祖|其《その》名《な》を記し居たまいて特《こと》に釈《ゆる》されしことあるに徴しても明らかなり。孝孺の学
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