同じからず、僅《わずか》に四春秋を越ゆるのみにして而して英発光著《えいはつこうちょ》や斯《かく》の如し、後《のち》四春秋ならしめば、則《すなわ》ち其の至るところ又|如何《いか》なるを知らず、近代を以て之を言えば、欧陽少卿《おうようしょうけい》、蘇長公《そちょうこう》の輩《はい》は、姑《しば》らく置きて論ぜず、自余の諸子、之と文芸の場《じょう》に角逐《かくちく》せば、孰《たれ》か後となり孰《いずれ》か先となるを知らざる也。今|此《この》説を為《な》す、人必ず予の過情を疑わんも、後二十余年にして当《まさ》に其の知言にして、生《せい》に許す者の過《か》に非《あら》ざるを信ずべき也。然《しか》りと雖《いえど》も予の生に許すところの者、寧《なん》ぞ独り文のみならんやと。又曰く、予深く其の去るを惜《おし》み、為《ため》に是《この》詩を賦《ふ》す、既に其の素有の善を揚げ、復《また》勗《つと》むるに遠大の業を以てすと。潜渓の孝孺を愛重し奨励すること、至れり尽せりというべし。其詩や辞《ことば》を行《や》る自在《じざい》にして、意を立つる荘重、孝孺に期するに大成を以てし、必ず経世済民の真儒とならんことを欲
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