おおい》に至りしかば、済寧の民歌って曰く。

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孰《たれ》か我が役を罷《や》めしぞ、
使君《しくん》の 力なり。
孰《たれ》か我が黍《しょ》を活《い》かしめしぞ、
使君の 雨なり。
使君よ 去りたまふ勿《なか》れ、
我が民の 父なり 母なり。
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 克勤の民意を得《う》る是《かく》の如くなりしかば、事を視《み》ること三年にして、戸口増倍し、一郡|饒足《じょうそく》し、男女|怡々《いい》として生を楽《たのし》みしという。克勤|愚菴《ぐあん》と号す。宋濂《そうれん》に故《こ》愚庵先生|方公墓銘文《ほうこうぼめいぶん》あり。滔々《とうとう》数千言《すせんげん》、備《つぶさ》に其の人となりを尽す。中《うち》に記す、晩年|益《ますます》畏慎《いしん》を加え、昼の為《な》す所の事、夜は則《すなわ》ち天に白《もう》すと。愚庵はたゞに循吏《じゅんり》たるのみならざるなり。濂又曰く、古《いにしえ》に謂《い》わゆる体道《たいどう》成徳《せいとく》の人、先生誠に庶幾焉《ちかし》と。蓋《けだ》し濂が諛墓《ゆぼ》の辞にあらず。孝孺は此の愚庵先生第二子として生れたり。
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