の見ざるに至れる所以《ゆえん》ならずんばあらず。道衍の言を考うるに、大※[#「既/木」、第3水準1−86−3]《たいがい》禅宗《ぜんしゅう》に依り、楞伽《りょうが》、楞厳《りょうごん》、円覚《えんがく》、法華《ほっけ》、華厳《けごん》等の経に拠って、程朱《ていしゅ》の排仏の説の非理無実なるを論ずるに過ぎず。然《しか》れども程朱の学、一世の士君子の奉ずるところたるの日に於《おい》て、抗争反撃の弁を逞《たくま》しくす。書の公《おおやけ》にさるゝの時、道衍既に七十八歳、道の為にすと曰《い》うと雖も、亦|争《あらそい》を好むというべし。此《こ》も亦道衍が※[#「くさかんむり/奔」、UCS−83BE、363−12]々蕩々《もうもうとうとう》の気の、已《や》む能わずして然るもの耶《か》、非《ひ》耶《か》。
 道衍は是《かく》の如きの人なり、而して猶《なお》卓侍郎《たくじろう》を容《い》るゝ能わず、之《これ》を赦《ゆる》さんとするの帝をして之を殺さしむるに至る。素《もと》より相《あい》善《よ》からざるの私《わたくし》ありしに因《よ》るとは云え、又実に卓の才の大にして器《き》の偉なるを忌《い》みたるに
前へ 次へ
全232ページ中162ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
幸田 露伴 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング