咲《わら》う可き也、と云い、明道何ぞ乃《すなわ》ち自ら苦《くるし》むこと此《かく》の如くなるや、と云い、伊川《いせん》の言《げん》を評しては、此《これ》は是れ伊川《いせん》みずから此《この》説を造って禅学者を誣《し》う、伊川が良心いずくにか在《あ》る、と云い、管《かん》を以て天を窺《うかが》うが如しとは夫子《ふうし》みずから道《い》うなりと云い、程夫子《ていふうし》崛強《くっきょう》自任《じにん》す、聖人の道を伝うる者、是《かく》の如くなる可からざる也、と云い、晦庵《かいあん》の言を難《なん》しては、朱子の※[#「寐」の「未」に代えて「自/木」、第4水準2−8−10]語《げいご》、と云い、惟《ただ》私意を逞《たくま》しくして以て仏を詆《そし》る、と云い、朱子も亦《また》怪なり、と云い、晦庵|此《かく》の如くに心を用いば、市井《しせい》の間の小人の争いて販売する者の所為《しょい》と何を以てか異ならんや、と云い、先賢大儒、世の尊信崇敬するところの者を、愚弄《ぐろう》嘲笑《ちょうしょう》すること太《はなは》だ過ぎ、其の口気甚だ憎む可し。是れ蓋《けだ》し其《その》姉の納《い》れず、其《その》友
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