めて謬誕《びょうたん》なりと為《な》し、条を逐《お》い理に拠って一々|剖柝《ぼうせき》せるものなり。藁《こう》成って巾笥《きんし》に蔵すること年ありて後、永楽十年十一月、自序を附して公刊す。今これを読むに、大抵《たいてい》禅子の常談にして、別に他の奇無し。蓋《けだ》し明道《めいどう》、伊川《いせん》、晦庵《かいあん》の仏《ぶつ》を排する、皆雄論博議あるにあらず、卒然の言、偶発の語多し、而して広く仏典を読まざるも、亦其の免れざるところなり。故に仏を奉ずる者の、三先生に応酬するが如《ごと》き、本《もと》是《これ》弁じ易《やす》きの事たり。膽《たん》を張り目を怒らし、手を戟《ほこ》にし気を壮《さかん》にするを要せず。道衍の峻機《しゅんき》険鋒《けんぼう》を以て、徐《しずか》に幾百年前の故紙《こし》に対す、縦説横説、甚《はなは》だ是《こ》れ容易なり。是れ其の観《み》る可き無き所以《ゆえん》なり。而して道衍の筆舌の鋭利なる、明道《めいどう》の言を罵《ののし》って、豈《あに》道学の君子の為《わざ》ならんやと云《い》い、明道の執見《しっけん》僻説《へきせつ》、委巷《いこう》の曲士の若《ごと》し、誠に
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