げんき》の兵乱に値《あ》う。年三十に近くして、愚庵《ぐあん》の及《きゅう》和尚に径山《けいざん》に従って禅学を習う。暇《いとま》あれば内外の典籍を披閲《ひえつ》して以《もっ》て才識に資す。因って河南《かなん》の二程先生《にていせんせい》の遺書と新安《しんあん》の晦庵朱先生《かいあんしゅせんせい》の語録を観《み》る。(中略)三先生既に斯文《しぶん》の宗主《そうしゅ》、後学の師範たり、仏老《ぶつろう》を※[#「てへん+(嚢−口二つ)」、361−8]斥《じょうせき》すというと雖も、必ず当《まさ》に理に拠《よ》って至公無私なるべし、即《すなわ》ち人心服せん。三先生多く仏書を探《さぐ》らざるに因って仏《ぶつ》の底蘊《ていおん》を知らず。一に私意を以て邪※[#「言+皮」、UCS−8A56、361−10]《じゃひ》の辞《ことば》を出して、枉抑《おうよく》太《はなは》だ過ぎたり、世の人も心|亦《また》多く平らかならず、況《いわ》んや其《その》学を宗《そう》する者をやと。(下略)道余録は乃《すなわ》ち程氏《ていし》遺書《いしょ》の中の仏道を論ずるもの二十八条、朱子語録の中の同二十一条を目《もく》して、極
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