ず。実に解す可《べ》からざるある也《なり》。道衍|己《おのれ》の偉功によって以《もっ》て仏道の為にすと云《い》わんか、仏道|明朝《みんちょう》の為に圧逼《あっぱく》せらるゝありしに非《あらざ》る也。燕王|覬覦《きゆ》の情《じょう》無き能《あた》わざりしと雖《いえど》も、道衍の扇《せん》を鼓《こ》して火を煽《あお》るにあらざれば、燕王|未《いま》だ必ずしも毒烟《どくえん》猛[※[#「諂のつくり+炎」、第3水準1−87−64]《もうえん》を揚げざるなり。道衍|抑《そも》又何の求むるあって、燕王をして決然として立たしめしや。王の事を挙ぐるの時、道衍の年や既に六十四五、呂尚《りょしょう》、范増《はんぞう》、皆老いて而《しこう》して後立つと雖《いえど》も、円頂黒衣の人を以て、諸行無常の教《おしえ》を奉じ、而して落日暮雲の時に際し、逆天非理の兵を起さしむ。嗚呼《ああ》又解すべからずというべし。若《も》し強《し》いて道衍の為に解さば、惟《ただ》是《こ》れ道衍が天に禀《う》くるの気と、自ら負《たの》むの材と、※[#「くさかんむり/奔」、UCS−83BE、363−12]々《もうもう》、蕩々《とうとう》、
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