かが》わしめんとす。燕王これを聞きて、保定失われんには北平|危《あやう》しとて、遂《つい》に令を下して師を班《かえ》す。八月より九月に至り、燕兵西水寨を攻め、十月真定の援兵を破り、併《あわ》せて寨を破る。房昭走りて免《のが》る。
 十一月、※[#「馬+付」、第4水準2−92−84]馬都尉《ふばとい》梅殷《ばいいん》をして淮安《わいあん》を鎮守《ちんしゅ》せしむ。殷は太祖の女《じょ》の寧国《ねいこく》公主《こうしゅ》に尚《しょう》す。太祖の崩ぜんとするや、其の側《かたえ》に侍して顧命を受けたる者は、実に帝と殷となり。太祖顧みて殷に語りたまわく、汝《なんじ》老成忠信、幼主を託すべしと。誓書および遺詔を出して授けたまい、敢《あえ》て天に違《たが》う者あらば、朕が為《ため》に之《これ》を伐《う》て、と言い訖《おわ》りて崩《かく》れたまえるなり。燕の勢《いきおい》漸《ようや》く大なるに及びて、諸将観望するもの多し。乃《すなわ》ち淮南《わいなん》の民を募り、軍士を合《がっ》して四十万と号し、殷に命じて之を統《す》べて、淮上《わいじょう》に駐《とど》まり、燕師を扼《やく》せしむ。燕王これを聞き、殷に
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