書を遣《おく》り、香《こう》を金陵《きんりょう》に進むるを以て辞と為《な》す。殷答えて曰く、進香は皇考《こうこう》禁あり、遵《したが》う者は孝たり、遵《したが》わざる者は不孝たり、とて使者の耳鼻《じび》を割《さ》き、峻厳《しゅんげん》の語をもて斥《しりぞ》く。燕王怒ること甚《はなはだ》し。
 燕王兵を起してより既に三年、戦《たたかい》勝つと雖《いえど》も、得るところは永平《えいへい》・大寧《たいねい》・保定《ほてい》にして、南軍出没して已《や》まず、得るもまた棄《す》つるに至ること多く、死傷|少《すくな》からず。燕王こゝに於《おい》て、太息《たいそく》して曰く、頻年《ひんねん》兵を用い、何の時か已《や》む可《べ》けん、まさに江に臨みて一決し、復《また》返顧せざらんと。時に京師《けいし》の内臣等、帝の厳《げん》なるを怨《うら》みて、燕王を戴《いただ》くに意ある者あり。燕に告ぐるに金陵の空虚を以てし、間《かん》に乗じて疾進すべしと勧む。燕王遂に意を決して十二月に至りて北平を出づ。
 四年正月、燕の先鋒《せんぽう》李遠、徳州《とくしゅう》の裨将《ひしょう》葛進《かっしん》を※[#「濾」の「思
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