孺に語りたまわく、燕王は孝康《こうこう》皇帝|同産《どうさん》の弟なり、朕《ちん》の叔父《しゅくふ》なり、吾《われ》他日|宗廟《そうびょう》神霊に見《まみ》えざらんやと。孝孺曰く、兵一たび散すれば、急に聚《あつ》む可からず。彼長駆して闕《けつ》を犯さば、何を以て之《これ》を禦《ふせ》がん、陛下惑いたもうなかれと。勝《しょう》を錦衣獄《きんいごく》に下す。燕王|聞《きい》て大《おおい》に怒る。孝孺の言、真《まこと》に然《しか》り、而して建文帝の情《じょう》、亦|敦《あつ》しというべし。畢竟《ひっきょう》南北相戦う、調停の事、復《また》為《な》す能わざるの勢《いきおい》に在《あ》り、今に於《おい》て兵戈《へいか》の惨《さん》を除かんとするも、五|色《しき》の石、聖手にあらざるよりは、之を錬《ね》ること難きなり。
 此《この》月《つき》燕王|指揮《しき》李遠《りえん》をして軽騎六千を率いて徐沛《じょはい》に詣《いた》り、南軍の資糧を焚《や》かしむ。李遠、丘福《きゅうふく》、薛禄《せつろく》[#「薛禄」は底本では「薜緑」]と策応して、能《よ》く功を収《おさ》め、糧船数万|艘《そう》、糧数百万を
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