とに当る可《べ》からず。然《しか》れども水神ありて華陰《かいん》の夜に現われ、璧《たま》を使者に托して、今年|祖龍《そりゅう》死せんと曰《い》えば、果《はた》して始皇やがて沙丘《しゃきゅう》に崩ぜり。唐《とう》の玄宗《げんそう》、開元は三十年の太平を享《う》け、天宝《てんぽう》は十四年の華奢《かしゃ》をほしいまゝにせり。然れども開元の盛時に当りて、一行阿闍梨《いちぎょうあじゃり》、陛下万里に行幸して、聖祚《せいそ》疆《かぎり》無《な》からんと奏したりしかば、心得がたきことを白《もう》すよとおぼされしが、安禄山《あんろくざん》の乱起りて、天宝十五年|蜀《しょく》に入りたもうに及び、万里橋《ばんりきょう》にさしかゝりて瞿然《くぜん》として悟り玉《たま》えりとなり。此等《これら》を思えば、数無きに似たれども、而も数有るに似たり。定命録《ていめいろく》、続定命録《ぞくていめいろく》、前定録《ぜんていろく》、感定録《かんていろく》等、小説|野乗《やじょう》の記するところを見れば、吉凶禍福は、皆定数ありて飲啄笑哭《いんたくしょうこく》も、悉《ことごと》く天意に因《よ》るかと疑わる。されど紛々たる雑
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