く》より正平《しょうへい》に及び、勢威|大《おおい》に張る。明の太祖の辺海|毎《つね》に和寇《わこう》に擾《みだ》さるゝを怒りて洪武十四年、日本を征せんとするを以《もっ》て威嚇《いかく》するや、王答うるに書を以てす。其《その》略に曰く、乾坤《けんこん》は浩蕩《こうとう》たり、一主の独権にあらず、宇宙は寛洪《かんこう》なり、諸邦を作《な》して以て分守す。蓋《けだ》し天下は天下の天下にして、一人の天下にあらざる也《なり》。吾《われ》聞く、天朝|戦《たたかい》を興《おこ》すの策ありと、小邦|亦《また》敵を禦《ふせ》ぐの図《と》あり。豈《あに》肯《あえ》て途《みち》に跪《ひざまず》いて之を奉ぜんや。之に順《したが》うも未《いま》だ其|生《せい》を必せず、之に逆《さから》うも未だ其死を必せず、相《あい》逢《あ》う賀蘭山前《がらんさんぜん》、聊《いささか》以《もっ》て博戯《はくぎ》せん、吾何をか懼《おそ》れんやと。太祖書を得て慍《いか》ること甚だしく、真《しん》に兵を加えんとするの意を起したるなり。洪武十四年は我が南朝|弘和《こうわ》元年に当る。時に王既に今川了俊《いまがわりょうしゅん》の為に圧迫せられて衰勢に陥り、征西将軍の職を後村上帝《ごむらかみてい》[#「後村上帝」は底本では「御村上帝」]の皇子|良成《ながなり》王に譲り、筑後《ちくご》矢部《やべ》に閑居し、読経礼仏を事として、兵政の務《つとめ》をば執りたまわず、年代|齟齬《そご》[#「齟齬」は底本では「齬齟」]するに似たり。然れども王と明《みん》との交渉は夙《つと》に正平の末より起りしことなれば、王の裁断を以て答書ありしならん。此《この》事《こと》我が国に史料全く欠け、大日本史《だいにほんし》も亦載せずと雖も、彼の史にして彼の威を損ずるの事を記す、決して無根の浮譚《ふだん》にあらず。)一個《いっか》優秀の風格、多く得《う》可《べ》からざるの人なり。洪武十七年、疾《やまい》を得て死するや、太祖親しく文を為《つく》りて祭《まつり》を致し、岐陽王《きようおう》に追封し、武靖《ぶせい》と諡《おくりな》し、太廟《たいびょう》に配享《はいきょう》したり。景隆は是《かく》の如き人の長子にして、其父の蓋世《がいせい》の武勲と、帝室の親眷《しんけん》との関係よりして、斉黄の薦むるところ、建文の任ずるところとなりて、五十万の大軍を統《す》ぶるには至りしなり。景隆は長身にして眉目疎秀《びもくそしゅう》、雍容都雅《ようようとが》、顧盻偉然《こべんいぜん》、卒爾《そつじ》に之を望めば大人物の如くなりしかば、屡《しばしば》出《い》でゝ軍を湖広《ここう》陝西《せんせい》河南《かなん》に練り、左軍都督府事《さぐんととくふじ》となりたるほかには、為《な》すところも無く、其《その》功としては周王《しゅうおう》を執《とら》えしのみに過ぎざれど、帝をはじめ大臣等これを大器としたりならん、然れども虎皮《こひ》にして羊質《ようしつ》、所謂《いわゆる》治世の好将軍にして、戦場の真豪傑にあらず、血を※[#「足へん+諜のつくり」、UCS−8E40、305−1]《ふ》み剣を揮《ふる》いて進み、創《きず》を裹《つつ》み歯を切《くいしば》って闘《たたか》うが如き経験は、未《いま》だ曾《かつ》て積まざりしなれば、燕王の笑って評せしもの、実に其《その》真を得たりしなり。
 李景隆は大兵を率いて燕王を伐《う》たんと北上す。帝は猶《なお》北方憂うるに足らずとして意《こころ》を文治に専らにし、儒臣|方孝孺《ほうこうじゅ》等《ら》と周官の法度《ほうど》を討論して日を送る、此《この》間《かん》に於て監察御史《かんさつぎょし》韓郁《かんいく》(韓郁|或《あるい》は康郁《こういく》に作る)というもの時事を憂いて疏《そ》を上《たてまつ》りぬ。其の意、黄子澄斉泰を非として、残酷の豎儒《じゅじゅ》となし、諸王は太祖の遺体なり、孝康《こうこう》の手足《しゅそく》なりとなし、之《これ》を待つことの厚からずして、周王|湘《しょう》王|代《だい》王|斉《せい》王をして不幸ならしめたるは、朝廷の為《ため》に計る者の過《あやまち》にして、是れ則ち朝廷激して之を変ぜしめたるなりと為《な》し、諺《ことわざ》に曰《いわ》く、親者《しんしゃ》之を割《さ》けども断たず、疎者《そしゃ》之を続《つ》げども堅《かた》からずと、是《これ》殊《こと》に理有る也となし、燕の兵を挙ぐるに及びて、財を糜《び》し兵を損して而して功無きものは国に謀臣無きに近しとなし、願わくは斉王を釈《ゆる》し、湘王を封《ほう》じ、周王を京師《けいし》に還《かえ》し、諸王|世子《せいし》をして書を持し燕に勧め、干戈《かんか》を罷《や》め、親戚《しんせき》を敦《あつ》うしたまえ、然らずんば臣|愚《ぐ》おもえらく十年を待た
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