《かん》、史に曲筆多し、今|新《あらた》に史徴を得るあるにあらざれば、疑《うたがい》を存せんのみ、確《たしか》に知る能《あた》わざる也。


 太祖の崩ぜるは閏《うるう》五月なり、諸王の入京《にゅうけい》を遏《とど》められて悦《よろこ》ばずして帰れるの後、六月に至って戸部侍郎《こぶじろう》卓敬《たくけい》というもの、密疏《みっそ》を上《たてまつ》る。卓敬|字《あざな》は惟恭《いきょう》、書を読んで十行|倶《とも》に下ると云《い》われし頴悟聡敏《えいごそうびん》の士、天文地理より律暦兵刑に至るまで究《きわ》めざること無く、後に成祖《せいそ》をして、国家|士《し》を養うこと三十年、唯《ただ》一卓敬を得たりと歎《たん》ぜしめしほどの英才なり。※[#「魚+更」、第3水準1−94−42]直慷慨《こうちょくこうがい》にして、避くるところ無し。嘗《かつ》て制度|未《いま》だ備わらずして諸王の服乗《ふくじょう》も太子に擬せるを見、太祖に直言して、嫡庶《ちゃくしょ》相《あい》乱《みだ》り、尊卑序無くんば、何を以《もっ》て天下に令せんや、と説き、太祖をして、爾《なんじ》の言《げん》是《ぜ》なり、と曰《い》わしめたり。其《そ》の人となり知る可《べ》きなり。敬の密疏は、宗藩《そうはん》を裁抑《さいよく》して、禍根を除かんとなり。されども、帝は敬の疏を受けたまいしのみにて、報じたまわず、事|竟《つい》に寝《や》みぬ。敬の言、蓋《けだ》し故無くして発せず、必らず窃《ひそか》に聞くところありしなり。二十余年前の葉居升《しょうきょしょう》が言は、是《ここ》に於《おい》て其《その》中《あた》れるを示さんとし、七国の難は今|将《まさ》に発せんとす。燕《えん》王、周《しゅう》王、斉《せい》王、湘《しょう》王、代《だい》王、岷《みん》王等、秘信相通じ、密使|互《たがい》に動き、穏やかならぬ流言ありて、朝《ちょう》に聞えたり。諸王と帝との間、帝は其《そ》の未《いま》だ位に即《つ》かざりしより諸王を忌憚《きたん》し、諸王は其の未だ位に即かざるに当って儲君《ちょくん》を侮り、叔父《しゅくふ》の尊を挟《さしば》んで不遜《ふそん》の事多かりしなり。入京会葬を止《とど》むるの事、遺詔に出《い》づと云うと雖《いえど》も、諸王、責《せめ》を讒臣《ざんしん》に托《たく》して、而《しこう》して其の奸悪《かんあく》を除《のぞ》かんと云い、香《こう》を孝陵《こうりょう》に進めて、而して吾が誠実を致さんと云うに至っては、蓋《けだ》し辞柄《じへい》無きにあらず。諸王は合同の勢あり、帝は孤立の状あり。嗚呼《ああ》、諸王も疑い、帝も疑う、相疑うや何ぞ※[#「目+癸」、第4水準2−82−11]離《かいり》せざらん。帝も戒め、諸王も戒む、相戒むるや何ぞ疎隔《そかく》せざらん。疎隔し、※[#「目+癸」、第4水準2−82−11]離す、而して帝の為《ため》に密《ひそか》に図るものあり、諸王の為に私《ひそか》に謀るものあり、況《いわ》んや藩王を以《もっ》て天子たらんとするものあり、王を以て皇となさんとするものあるに於《おい》てをや。事|遂《つい》に決裂せずんば止《や》まざるものある也。
 帝の為《ため》に密《ひそか》に図る者をば誰《たれ》となす。曰《いわ》く、黄子澄《こうしちょう》となし、斉泰《せいたい》となす。子澄は既に記しぬ。斉泰は※[#「さんずい+栗」、第4水準2−79−2]水《りっすい》の人、洪武十七年より漸《ようや》く世に出《い》づ。建文帝|位《くらい》に即きたもうに及び、子澄と与《とも》に帝の信頼するところとなりて、国政に参す。諸王の入京会葬を遏《とど》めたる時の如き、諸王は皆|謂《おも》えらく、泰皇考《たいこうこう》の詔を矯《た》めて骨肉を間《へだ》つと。泰の諸王の憎むところとなれる、知るべし。
 諸王の為に私《ひそか》に謀る者を誰となす。曰く、諸王の雄《ゆう》を燕王となす。燕王の傅《ふ》に、僧|道衍《どうえん》あり。道衍は僧たりと雖《いえど》[#ルビの「いえど」は底本では「いえども」]も、灰心滅智《かいしんめっち》の羅漢《らかん》にあらずして、却《かえ》って是《こ》れ好謀善算の人なり。洪武二十八年、初めて諸王の封国に就《つ》く時、道衍|躬《み》ずから薦《すす》めて燕王の傅《ふ》とならんとし、謂《い》って曰く、大王《だいおう》臣をして侍するを得せしめたまわば、一白帽《いちはくぼう》を奉りて大王がために戴《いただ》かしめんと。王上《おうじょう》に白《はく》を冠すれば、其《その》文《ぶん》は皇なり、儲位《ちょい》明らかに定まりて、太祖未だ崩ぜざるの時だに、是《かく》の如《ごと》きの怪僧ありて、燕王が為に白帽を奉らんとし、而《しこう》して燕王|是《かく》の如きの怪僧を延《ひ》いて帷※[#「巾+莫」、U
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