《みんし》には其の外国伝に、朝廷、帖木児《チモル》の道を別失八里《ベシバリ》に仮りて兵を率いて東するを聞き、甘粛《かんしゅく》総兵官《そうへいかん》宋晟《そうせい》に勅して※[#「にんべん+敬」、第3水準1−14−42]備《けいび》せしむ、とあるに過ぎず。然《しか》れども塞外《さくがい》の事には意を用いること密にして、永楽八年以後、数々《しばしば》漠北《ばくほく》を親征せしほどの帝の、帖木児《チモル》東せんとするを聞きては、奚《いずく》んぞ能《よ》く晏然《あんぜん》たらん。太祖の洪武《こうぶ》二十八年、傅安《ふあん》等《ら》を帖木児《チモル》の許《もと》に使《つかい》せしめて、安《あん》等《ら》猶《なお》未《いま》だ還《かえ》らず、忽《たちまち》にして此《この》報を得、疑虞《ぎぐ》する無きを得んや。帖木児《チモル》、父は答剌豈《タラガイ》(Taragai)、元《げん》の至元二年を以《もっ》て生る。生れて跛《ひ》なりしかば、悪《にく》む者チムールレンク(Timurlenk)と呼ぶ。レンクは跛《ひ》の義の波斯《ペルシヤ》語なり。タメルランの称これによって起る。人となり雄毅《ゆうき》、兵を用い政《まつりごと》を為《な》すを善《よ》くす。太祖《たいそ》の明《みん》の基《もとい》を開くに前後して大《おおい》に勢《いきおい》を得、洪武五年より後、征戦三十余年、威名|亜非利加《アフリカ》、欧羅巴《ヨウロッパ》に及ぶ。帖木児《チモル》は回教を奉ず。明の初《はじめ》回教の徒の甘粛に居る者を放つ。回徒多く帖木児《チモル》の領土に帰《き》す。帖木児《チモル》の甘粛より入らんとせるも、故ある也。永楽元年(1403)より永楽三年に至るまで帖木児《チモル》の許《もと》に在《あ》りしクラウイヨ(Clavijo, Castilian Ambassador)記《しる》す、タメルラン、支那《しな》帝使を西班牙《スペイン》帝使の下《しも》に座せしめ、吾《わが》児《こ》たり友たる西帝《せいてい》の使を、賊たり無頼の徒たる支那帝の使《し》の下に坐《ざ》せしむる勿《なか》れと云《い》いしと。又同時タメルラン軍営に事《つか》えしバワリヤ人シルトベルゲル(T. Schiltberger)記す、支那帝使|進貢《しんこう》を求む、タメルラン怒って曰く、吾《われ》復《また》進貢せざらん、貢を求めば帝みずから来《きた》れと。乃《すなわ》ち使《つかい》を発して兵を徴し、百八十万を得、将《まさ》に発せんとしたりと。西暦千三百九十八年は、タメルラン西部|波斯《ペルシヤ》を征したりしが、其《その》冬《ふゆ》明の太祖及び埃及《エジプト》王の死を知りたりと也《なり》。帖木児《チモル》が意を四方に用いたる知る可し。然《しか》らば則《すなわ》ち燕王の兵を起ししより終《つい》に位《くらい》に即《つ》くに至るの事、タメルラン之《これ》を知る久し。建文二年(1400)よりタメルランはオットマン帝国を攻めしが、外に在《あ》る五年にして、永楽二年(1404)サマルカンドに還《かえ》りぬ。カスチリヤの使《し》と、支那の使とを引見したるは、即《すなわ》ち此《この》歳《とし》にして、其《そ》の翌年|直《ただち》に馬首を東にし、争乱の余《よ》の支那に乱入せんとしたる也。永楽帝の此《この》報を得るや、宋晟《そうせい》に勅《ちょく》して※[#「にんべん+敬」、第3水準1−14−42]備《けいび》せしむるのみならず、備えたるあること知りぬ可《べ》し。宋晟は好将軍なり、平羌将軍《へいきょうしょうぐん》西寧侯《せいねいこう》たり。かつて御史《ぎょし》ありて晟《せい》の自ら専《もっぱら》にすることを劾《がい》しけるに、帝|聴《き》かずして曰く、人に任ずる専《せん》ならざれば功を成す能《あた》わず、況《いわ》んや大将は一辺を統制す、いずくんぞ能《よ》く文法に拘《かかわ》らんと。又|嘗《かつ》て曰く、西北の辺務は、一に以《もっ》て卿《けい》に委《ゆだ》ぬと。其の材武称許せらるゝ是《かく》の如し。タメルランの来《きた》らんとするや、帝また別に虞《おそ》るゝところあり。蓋《けだ》し燕の兵を挙ぐるに当って、史|之《これ》を明記せずと雖《いえど》も、韃靼《だったん》の兵を借りて以《もっ》て功を成せること、蔚州《いしゅう》を囲めるの時に徴して知る可し。建文|未《いま》だ死せず、従臣の中《うち》、道衍《どうえん》金忠《きんちゅう》の輩の如き策士あって、西北の胡兵《こへい》を借るあらば、天下の事知る可からざるなり。鄭和《ていか》胡「さんずい+「勞」の「力」に代えて「火」」、UCS−6FD9、411−12]《こえい》の出《い》づるある、徒爾《とじ》ならんや。建文の草庵《そうあん》の夢、永楽の金殿《きんでん》の夢、其のいずれか安くして、いずれか安か
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