て天子、数なり、と仰《おお》[#ルビの「おお」は底本では「おおせ」]せあり。帝の諱《いみな》は允※[#「火+文」、第4水準2−79−61]《いんぶん》、応文《おうぶん》の法号、おのずから相応ずるが如し。且つ明《みん》の基《もとい》を開きし太祖高皇帝はもと僧にましましき。後にこそ天下の主となり玉《たま》いたれ、元《げん》の順宗《じゅんそう》の至正《しせい》四年|年《とし》十七におわしける時は、疫病|大《おおい》に行われて、御父《おんちち》御母兄上幼き弟皆|亡《う》せたまえるに、家貧にして棺槨《かんかく》の供《そなえ》だに為《な》したもう能《あた》わず、藁葬《こうそう》という悲しくも悲しき事を取行《とりおこな》わせ玉わんとて、仲《なか》の兄と二人してみずから遺骸《いがい》を舁《か》きて山麓《さんろく》に至りたまえるに、※[#「糸+更」、第4水準2−84−30]《なわ》絶えて又|如何《いかん》ともする能《あた》わず、仲の兄|馳《はせ》還《かえ》って※[#「糸+更」、第4水準2−84−30]を取りしという談だに遺《のこ》りぬ。其の仲の兄も亦《また》亡せたれば、孤身|依《よ》るところなく、遂《つい》に皇覚寺《こうかくじ》に入りて僧と為《な》り、食《し》を得んが為《ため》に合※[#「さんずい+肥」、第3水準1−86−85]《ごうひ》に至り、光《こう》固《こ》汝《じょ》頴《えい》の諸州に托鉢《たくはつ》修行し、三歳の間は草鞋《そうあい》竹笠《ちくりゅう》、憂《う》き雲水の身を過したまえりという。帝は太祖の皇孫と生れさせたまいて、金殿玉楼に人となりたまいたれども、如是因《にょぜいん》、如是縁《にょぜえん》、今また袈裟《けさ》念珠《ねんじゅ》の人たらんとす。不思議というも余《あま》りあり。程済|即《すなわ》ち御意に従いて祝髪《しゅくはつ》しまいらす。万乗の君主金冠を墜《おと》し、剃刀《ていとう》の冷光|翠髪《すいはつ》を薙《な》ぐ。悲痛何ぞ能《よ》く堪《た》えんや。呉王《ごおう》の教授|揚応能《ようおうのう》は、臣が名|度牒《どちょう》に応ず、願わくは祝髪して随《したが》いまつらんと白《もう》す。監察御史《かんさつぎょし》葉希賢《しょうきけん》、臣が名は賢《けん》、応賢《おうけん》たるべきこと疑《うたがい》無しと白《もう》す。各《おのおの》髪を剃《そ》り衣《い》を易《か》えて牒《ちょう》を披《ひら》く。殿《でん》に在りしもの凡《およ》そ五六十人、痛哭《つうこく》して地に倒れ、倶《とも》に矢《ちか》って随《したが》いまつらんともうす。帝、人多ければ得失を生ずる無きを得ず、とて麾《さしまね》いて去らしめたもう。御史《ぎょし》曾鳳韶《そうほうしょう》、願わくは死を以て陛下に報いまつらん、と云いて退きつ、後《のち》果して燕王の召《めし》に応《おう》ぜずして自殺しぬ。諸臣|大《おおい》に慟《なげ》きて漸《ようや》くに去り、帝は鬼門に至らせたもう。従う者実に九人なり。至れば一舟《いっしゅう》の岸に在《あ》るあり。誰《たれ》ぞと見るに神楽観《しんがくかん》の道士|王昇《おうしょう》にして、帝を見て叩頭《こうとう》して万歳を称《とな》え、嗚呼《ああ》、来《きた》らせたまえるよ、臣昨夜の夢に高《こう》皇帝の命を蒙《こうむ》りて、此《ここ》にまいり居《い》たり、と申す。乃《すなわ》ち舟に乗じて太平門《たいへいもん》に至りたもう。昇《しょう》導きまいらせて観《かん》に至れば、恰《あたか》も已《すで》に薄暮なりけり。陸路よりして楊応能《ようおうのう》、葉希賢《しょうきけん》等《ら》十三人同じく至る。合《ごう》二十二人、兵部侍郎《へいぶじろう》廖平《りょうへい》、刑部侍郎《けいぶじろう》金焦《きんしょう》、編修《へんしゅう》趙天泰《ちょうてんたい》、検討《けんとう》程亨《ていこう》、按察使《あんさつし》王良《おうりょう》、参政《さんせい》蔡運《さいうん》、刑部郎中《けいぶろうちゅう》梁田玉《りょうでんぎょく》、中書舎人《ちゅうしょしゃじん》梁良玉《りょうりょうぎょく》、梁中節《りょうちゅうせつ》、宋和《そうか》、郭節《かくせつ》、刑部司務《けいぶしむ》馮※[#「さんずい+寉」、405−12]《ひょうかく》、鎮撫《ちんぶ》牛景先《ぎゅうけいせん》、王資《おうし》、劉仲《りゅうちゅう》、翰林侍詔《かんりんじしょう》鄭洽《ていこう》、欽天監正《きんてんかんせい》王之臣《おうししん》、太監《たいかん》周恕《しゅうじょ》、徐王府賓輔《じょおうふひんほ》史彬《しひん》と、楊応能《ようおうのう》、葉希賢《しょうきけん》、程済《ていせい》となり。帝、今後はたゞ師弟を以《もっ》て称し、必ずしも主臣の礼に拘《かかわ》らざるべしと宣《のたま》う。諸臣泣いて諾す。廖平こゝに於《おい》て人々に謂
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