》てす。四篇の文、雄大にして荘厳、其《その》大旨、義理の正に拠《よ》って、情勢の帰《き》を斥《しりぞ》け、王道を尚《たっと》び、覇略を卑み、天下を全有して、海内《かいだい》に号令する者と雖《いえど》も、其《その》道に於《おい》てせざる者は、目《もく》して、正統の君主とすべからずとするに在《あ》り。秦《しん》や隋《ずい》や王※[#「くさかんむり/奔」、UCS−83BE、390−3]《おうもう》や、晋宋《しんそう》・斉梁《せいりょう》や、則天《そくてん》や符堅《ふけん》や、此《これ》皆これをして天下を有せしむる数百年に踰《こ》ゆと雖《いえど》も、正統とす可《べ》からずと為《な》す。孝孺の言に曰く、君たるに貴ぶ所の者は、豈《あに》其の天下を有するを謂《い》わんやと。又曰く、天下を有して而《しか》も正統に比す可からざる者三、簒臣《さんしん》也《なり》、賊后《ぞくこう》也、夷狄《いてき》也と。孝孺|篇後《へんご》に書して曰く、予が此《この》文を為《つく》りてより、未《いま》だ嘗《かつ》て出して以て人に示さず。人の此《この》言を聞く者、咸《みな》予を※[#「此/言」、第4水準2−88−57]笑《ししょう》して以て狂と為《な》し、或《あるい》は陰《いん》に之《これ》を詆詬《ていこう》す。其の然《しか》りと謂《い》う者は、独り予が師|太史公《たいしこう》と、金華《きんか》の胡公翰《ここうかん》とのみと、夫《そ》れ正統変統の論、もとより史の為《ため》にして発すと雖も、君たるに貴ぶ所の者は豈《あに》其の天下を有するを謂わんやと為《な》す。是《かく》の如きの論を為せるの後二十余年にして、一朝|簒奪《さんだつ》の君に面し、其の天下に誥《つ》ぐるの詔《みことのり》を草せんことを逼《せま》らる。嗚呼《ああ》、運命|遭逢《そうほう》も亦《また》奇なりというべし。孝孺又|嘗《かつ》て筆の銘を為《つく》る。曰く、

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妄《みだり》に動けば 悔《くい》あり、
道は 悖《もと》る可からず。
汝《なんじ》 才ありと謂《い》ふ勿《なか》れ、
後に 万世あり。
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又|嘗《かつ》て紙の銘を為る。曰く、

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之《これ》を以《もっ》て言を立つ、其の道を載《の》せんを欲す。
之を以て事を記す、其の民を利せんを欲す。
之を以て教《おしえ》を施す、其の義ならんを欲す。
之を以て法を制す、其の仁ならんを欲す。
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 此《これ》等《ら》の文、蓋《けだ》し少時の為《つく》る所なり。嗚呼、運命|遭逢《そうほう》、又何ぞ奇なるや。二十余年の後にして、筆紙前に在り。これに臨みて詔を草すれば、富貴《ふうき》我を遅《ま》つこと久し、これに臨みて命《めい》を拒まば、刀鋸《とうきょ》我に加わらんこと疾《と》し。嗚呼、正学先生《せいがくせんせい》、こゝに於《おい》て、成王《せいおう》いずくに在《あ》りやと論じ、こゝに於て筆を地に擲《なげう》って哭《こく》す。父に負《そむ》かず、師に負《そむ》かず、天に合《がっ》して人に合《がっ》せず、道に同じゅうして時に同じゅうせず、凛々烈々《りんりんれつれつ》として、屈せず撓《たゆ》まず、苦節|伯夷《はくい》を慕わんとす。壮なる哉《かな》。
 帝、孝孺の一族を収め、一人を収むる毎《ごと》に輙《すなわ》ち孝孺に示す。孝孺顧みず、乃《すなわ》ち之を殺す。孝孺の妻|鄭氏《ていし》と諸子《しょし》とは、皆|先《ま》ず経死《けいし》す。二女|逮《とら》えられて淮《わい》を過ぐる時、相《あい》与《とも》に橋より投じて死す。季弟《きてい》孝友《こうゆう》また逮《とら》えられて将《まさ》に戮《りく》せられんとす。孝孺之を目して涙《なんだ》下りければ、流石《さすが》は正学の弟なりけり、

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阿兄《あけい》 何ぞ必ずしも 涙|潜々《さんさん》たらむ、
義を取り 仁を成す 此《この》間《かん》に在り。
華表《かひょう》 柱頭《ちゅうとう》 千歳《せんざい》の後《のち》、
旅魂《りょこん》 旧に依《よ》りて 家山《かざん》に到らん。
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と吟じて戮《りく》せられぬ。母族|林彦清《りんげんせい》等《ら》、妻族|鄭原吉《ていげんきつ》等《ら》九族既に戮せられて、門生等まで、方氏《ほうし》の族として罪なわれ、坐死《ざし》する者およそ八百七十三人、遠謫《えんたく》配流《はいる》さるゝもの数う可からず。孝孺は終《つい》に聚宝門外《しゅうほうもんがい》に磔殺《たくさつ》せられぬ。孝孺|慨然《がいぜん》、絶命の詞《し》を為《つく》りて戮に就《つ》く。時に年四十六、詞に曰く、

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|天降[#二]乱離[#一]兮孰知[#二]其由[#一]《てんらんりをく
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