徳|漸《ようや》く高くして、太祖の第十一子|蜀王《しょくおう》椿《ちん》、孝孺を聘《へい》して世子の傅《ふ》となし、尊ぶに殊礼《しゅれい》を以《もっ》てす。王の孝孺に賜《たま》うの書に、余一日見ざれば三秋の如き有りの語あり。又王が孝孺を送るの詩に、士を閲《けみ》す孔《はなは》だ多し、我は希直を敬すの句あり。又其一章に
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謙《けん》にして以て みづから牧《ぼく》し、
卑《ひく》うして以て みづから持《じ》す。
雍容《ようよう》 儒雅《じゅが》、
鸞鳳《らんぽう》の 儀あり。
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とあり。又其の賜詩《しし》三首の一に
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文章 金石を奏し、
衿佩《きんぱい》 儀刑《ぎけい》を覩《み》る。
応《まさ》に世々《よよ》 三|輔《ぽ》に遊ぶべし、
焉《いずく》んぞ能《よ》く 一|経《けい》に困《こん》せん。
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の句あり。王の優遇知る可くして、孝孺の恩に答うるに道を以てせるも、亦《また》知るべし。王孝孺の読書の廬《ろ》に題して正学《せいがく》という。孝孺はみずから遜志斎《そんしさい》という。人の正学先生というものは、実に蜀《しょく》王の賜題に因《よ》るなり。
太祖崩じ、皇太孫立つに至って、廷臣|交々《こもごも》孝孺を薦《すす》む。乃《すなわ》ち召されて翰林《かんりん》に入る。徳望|素《もと》より隆《さか》んにして、一時の倚重《きちょう》するところとなり、政治より学問に及ぶまで、帝の咨詢《しじゅん》を承《う》くること殆《ほとん》ど間《ひま》無く、翌二年文学博士となる。燕王兵を挙ぐるに及び、日に召されて謀議に参し、詔檄《しょうげき》皆孝孺の手に出《い》づ。三年より四年に至り、孝孺|甚《はなは》だ煎心《せんしん》焦慮《しょうりょ》すと雖も、身武臣にあらず、皇師|数々《しばしば》屈して、燕兵|遂《つい》に城下に到《いた》る。金川門《きんせんもん》守《まもり》を失いて、帝みずから大内《たいだい》を焚《や》きたもうに当り、孝孺|伍雲《ごうん》等《ら》の為《ため》に執《とら》えられて獄に下さる。
燕王志を得て、今既に帝たり。素《もと》より孝孺の才を知り、又|道衍《どうえん》の言を聴《き》く。乃《すなわ》ち孝孺を赦《ゆる》して之《これ》を用いんと欲し、待つに不死を以てす。孝孺屈せず。よって之を獄に繋《つな》ぎ、孝孺の弟子《ていし》廖※[#「金+庸」、第3水準1−93−36]《りょうよう》廖銘《りょうめい》をして、利害を以て説かしむ。二人は徳慶侯《とくけいこう》廖権《りょうけん》の子なり。孝孺怒って曰く、汝《なんじ》等《ら》予に従って幾年の書を読み、還《かえ》って義の何たるを知らざるやと。二人説く能《あた》わずして已《や》む。帝|猶《なお》孝孺を用いんと欲し、一日に諭《ゆ》を下すこと再三に及ぶ。然《しか》も終《つい》に従わず。帝即位の詔《みことのり》を草せんと欲す、衆臣皆孝孺を挙ぐ。乃《すなわ》ち召して獄より出《い》でしむ。孝孺|喪服《そうふく》して入り、慟哭《どうこく》して悲《かなし》み、声|殿陛《でんへい》に徹す。帝みずから榻《とう》を降《くだ》りて労《ねぎ》らいて曰く、先生労苦する勿《なか》れ。我|周公《しゅうこう》の成王《せいおう》を輔《たす》けしに法《のっと》らんと欲するのみと。孝孺曰く、成王いずくにか在《あ》ると。帝曰く、渠《かれ》みずから焚死《ふんし》すと。孝孺曰く、成王|即《もし》存せずんば、何ぞ成王の子を立てたまわざるやと。帝曰く、国は長君《ちょうくん》に頼《よ》る。孝孺曰く、何ぞ成王の弟を立てたまわざるや。帝曰く、これ朕《ちん》が家事なり、先生はなはだ労苦する勿《なか》れと。左右をして筆札《ひっさつ》を授けしめて、おもむろに詔《みことのり》して曰く、天下に詔する、先生にあらずんば不可なりと。孝孺|大《おおい》に数字を批して、筆を地に擲《なげう》って、又|大哭《たいこく》し、且《かつ》罵《ののし》り且|哭《こく》して曰く、死せんには即《すなわ》ち死せんのみ、詔《しょう》は断じて草す可からずと。帝|勃然《ぼつぜん》として声を大にして曰く、汝いずくんぞ能《よ》く遽《にわか》に死するを得んや、たとえ死するとも、独り九族を顧みざるやと。孝孺いよ/\奮って曰く、すなわち十族なるも我を奈何《いか》にせんやと、声|甚《はなは》だ※[#「厂+萬」、第3水準1−14−84]《はげ》し。帝もと雄傑剛猛なり、是《ここ》に於て大《おおい》に怒《いか》って、刀を以て孝孺の口を抉《えぐ》らしめて、復《また》之を獄に錮《こ》す。
孝孺の宋潜渓《そうせんけい》に知らるゝや、蓋《けだ》し其《そ》の釈統《しゃくとう》三|篇《ぺん》と後正統論《こうせいとうろん》とを以《もっ
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