1−91−91]籌《さかずきのかず》 何《なん》ぞ肯《あえ》て数へむ。
流年 ※[#「犬/(犬+犬)」、UCS−730B、346−9]《はやく》馳《はしる》を嘆く、
力有るも誰《たれ》か得て阻《とど》めむ。
人生 須《すべか》らく歓楽すべし、
長《とこしえ》に辛苦せしむる勿《なか》れ。
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 擬古の詩、もとより直《ただち》に抒情《じょじょう》の作とす可《べ》からずと雖《いえど》も、此《これ》是《こ》れ緇《くろき》を披《き》て香を焚《た》く仏門の人の吟ならんや。其《そ》の北固山《ほっこざん》を経て賦《ふ》せる懐古の詩というもの、今存するの詩集に見えずと雖も、僧|宗※[#「さんずい+こざとへん+力」、第4水準2−78−33]《そうろく》一読して、此《これ》豈《あに》釈子《しゃくし》の語ならんや、と曰《い》いしという。北固山は宋《そう》の韓世忠《かんせいちゅう》兵を伏せて、大《おおい》に金《きん》の兀朮《ごつじゅつ》を破るの処《ところ》たり。其詩また想《おも》う可き也《なり》。劉文《りゅうぶん》貞公《ていこう》の墓を詠ずるの詩は、直《ただち》に自己の胸臆《きょうおく》を※[#「てへん+慮」、第4水準2−13−58]《の》ぶ。文貞は即《すなわ》ち秉忠《へいちゅう》にして、袁※[#「王+共」、第3水準1−87−92]《えんこう》[#「袁※[#「王+共」、第3水準1−87−92]」は底本では「袁洪」]の評せしが如く、道衍の燕《えん》に於《お》けるは、秉忠の元《げん》に於けるが如く、其の初《はじめ》の僧たる、其の世に立って功を成せる、皆|相《あい》肖《に》たり。蓋《けだ》し道衍の秉忠に於けるは、岳飛《がくひ》が関張《かんちょう》と比《ひと》しからんとし、諸葛亮《しょかつりょう》が管楽に擬したるが如く、思慕して而《しこう》して倣模《ほうも》せるところありしなるべし。詩に曰く、

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良驥《りょうき》 色 羣《ぐん》に同じく、
至人 迹《あと》 俗に混ず。
知己《ちき》 苟《いやしく》も遇《あ》はざれば、
終世 怨《うら》み※[#「讀+言」、UCS−8B9F、348−2]《うら》まず。
偉なる哉《かな》 蔵春公《ぞうしゅんこう》や、
箪瓢《たんぴょう》 巌谷《がんこく》に楽《たのし》む。
一朝 風雲 会す。
君臣 おのづから心腹《しんぷく》なり。
大業 計《はかりごと》 已《すで》に成りて、
勲名 簡牘《かんとく》に照る。
身|退《しりぞ》いて 即《すなわ》ち長往し、
川流れて 去つて復《かえ》ること無し。
住城《じゅうじょう》 百年の後《のち》、
鬱々《うつうつ》たり 盧溝《ろこう》の北。
松《まつ》楸《ひさぎ》 烟靄《えんあい》 青く、
翁仲《いしのまもりびと》 ※[#「くさかんむり/靡」、第4水準2−87−21]蕪《かおりぐさ》 緑なり。
強梁《あばれもの》も 敢《あえ》て犯さず、
何人《なんぴと》か 敢て樵《きこり》牧《うまかい》せん。
王侯の 墓|累々《るいるい》たるも、
廃《はい》すること 草宿《わずかのま》をも待たず。
惟《ただ》公《こう》 民望《みんぼう》に在《あ》り、
天地と 傾覆《けいふく》を同じうす。
斯《この》人《ひと》 作《おこ》す可《べ》からず、
再拝して 還《また》一|哭《こく》す。
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 蔵春は秉忠《へいちゅう》の号なり。盧溝は燕の城南に在り。此《この》詩《し》劉文貞に傾倒すること甚《はなは》だ明らかに、其の高風大業を挙げ、而《しこう》して再拝|一哭《いっこく》すというに至る。性情|行径《こうけい》相《あい》近《ちか》し、俳徊《はいかい》感慨、まことに止《や》む能《あた》わざるものありしならん。又別に、春日《しゅんじつ》劉太保《りゅうたいほ》の墓に謁するの七律《しちりつ》あり。まことに思慕の切なるを証すというべし。東游《とうゆう》せんとして郷中《きょうちゅう》諸友《しょゆう》に別るゝの長詩に、

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我|生《うま》れて 四方《しほう》の志あり、
楽《たのし》まず 郷井《きょうせい》の中《うち》を。
茫乎《ぼうこ》たる 宇宙の内、
飄転《ひょうてん》して 秋蓬《しゅうほう》の如し。
孰《たれ》か云ふ 挾《さしはさ》む所無しと、
耿々《こうこう》たるもの 吾《わが》胸に存す。
魚《うお》の※[#「さんずい+樂」、第4水準2−79−40]《いけ》に止《とど》まるを為《な》すに忍びんや、
禽《とり》の籠《かご》に囚《とら》はるゝを作《な》すを肯《がえん》ぜんや。
三たび登ると 九たび到《いた》ると、
古徳《ことく》と与《とも》に同じうせんと欲す。
去年は 淮楚《わいそ》に客《かく》たりき、
今は往《ゆ》かんとす 浙水《せっすい》の東。
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