しょ》となすと雖も、尽《ことごと》く斥《しりぞ》く可《べ》からざるものあるに似たり。忠徹も家学を伝えて、当時に信ぜらる。其の著《あら》わすところ、今古識鑑《ここんしきかん》八巻ありて、明志《みんし》採録す。予《よ》未だ寓目《ぐうもく》せずと雖も、蓋《けだ》し藻鑑《そうかん》の道を説く也。※[#「王+共」、第3水準1−87−92]と忠徹と、偕《とも》に明史|方伎伝《ほうぎでん》に見ゆ。※[#「王+共」、第3水準1−87−92]の燕王に見《まみ》ゆるや、鬚《ひげ》長じて臍《へそ》を過《す》ぎなば宝位に登らんという。燕王笑って曰く、吾《わ》が年|将《まさ》に四旬ならんとす、鬚|豈《あに》能《よ》く復《また》長ぜんやと。道衍こゝに於て金忠《きんちゅう》というものを薦《すす》む。金忠も亦|※[#「覲」の「見」に代えて「おおざと」、第4水準2−90−26]《きん》の人なり、少《わか》くして書を読み易《えき》に通ず。卒伍《そつご》に編せらるゝに及び、卜《ぼく》を北平《ほくへい》に売る。卜多く奇中して、市人伝えて以て神《しん》となす。燕王忠をして卜せしむ。忠卜して卦《け》を得て、貴きこと言う可からずという。燕王の意|漸《ようや》くにして固《かた》し。忠|後《のち》に仕えて兵部尚書《ひょうぶしょうしょ》を以て太子《たいし》監国《かんこく》に補せらるゝに至る。明史巻百五十に伝あり。蓋し亦一異人なり。
帝の側《かたえ》には黄子澄《こうしちょう》斉泰《せいたい》あり、諸藩を削奪《さくだつ》するの意、いかでこれ無くして已《や》まん。燕王《えんおう》の傍《かたえ》には僧|道衍《どうえん》袁※[#「王+共」、第3水準1−87−92]《えんこう》あり、秘謀を※[#「酉+榲のつくり」、第3水準1−92−88]醸《うんじょう》するの事、いかでこれ無くして已まん。二者の間、既に是《かく》の如《ごと》し、風声鶴唳《ふうせいかくれい》、人|相《あい》驚かんと欲し、剣光|火影《かえい》、世|漸《ようや》く将《まさ》に乱れんとす。諸王不穏の流言、朝《ちょう》に聞ゆること頻《しきり》なれば、一日帝は子澄を召したまいて、先生、疇昔《ちゅうせき》の東角門《とうかくもん》の言を憶《おぼ》えたもうや、と仰《おお》す。子澄直ちに対《こた》えて、敢《あえ》て忘れもうさずと白《もう》す。東角門の言は、即《すなわ》ち子澄|
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