肆《しゅし》に飲ましめ、王みずから衛士の儀表堂々たるもの九人に雑《まじ》わり、おのれ亦《また》衛士の服を服し、弓矢《きゅうし》を執《と》りて肆中《しちゅう》に飲む。※[#「王+共」、第3水準1−87−92]一見して即《すなわ》ち趨《はし》って燕王の前に拝して曰《いわ》く、殿下何ぞ身を軽んじて此《ここ》に至りたまえると。燕王等笑って曰く、吾輩《わがはい》皆護衛の士なりと。※[#「王+共」、第3水準1−87−92]|頭《こうべ》を掉《ふ》って是《ぜ》とせず。こゝに於て王|起《た》って入り、※[#「王+共」、第3水準1−87−92]を宮中に延《ひ》きて詳《つばら》に相《そう》せしむ。※[#「王+共」、第3水準1−87−92]|諦視《ていし》すること良《やや》久しゅうして曰《いわ》く、殿下は龍行虎歩《りゅうこうこほ》したまい、日角《にっかく》天を挿《さしはさ》む、まことに異日太平の天子にておわします。御年《おんとし》四十にして、御鬚《おんひげ》臍《へそ》を過《す》ぎさせたもうに及ばせたまわば、大宝位《たいほうい》に登らせたまわんこと疑《うたがい》あるべからず、と白《もう》す。又|燕府《えんふ》の将校官属を相せしめたもうに、※[#「王+共」、第3水準1−87−92]一々指点して曰く、某《ぼう》は公《こう》たるべし、某は侯《こう》たるべし、某は将軍たるべし、某は貴官たるべしと。燕王|語《ことば》の洩《も》れんことを慮《はか》り、陽《うわべ》に斥《しりぞ》けて通州《つうしゅう》に至らしめ、舟路《しゅうろ》密《ひそか》に召して邸《てい》に入る。道衍は北平《ほくへい》の慶寿寺《けいじゅじ》に在り、※[#「王+共」、第3水準1−87−92]は燕府《えんふ》に在り、燕王と三人、時々人を屏《しりぞ》けて語る。知らず其の語るところのもの何ぞや。※[#「王+共」、第3水準1−87−92]は柳荘居士《りゅうそうこじ》と号す。時に年|蓋《けだ》し七十に近し。抑《そも》亦《また》何の欲するところあって燕王に勧めて反せしめしや。其子|忠徹《ちゅうてつ》の伝うるところの柳荘相法、今に至って猶《なお》存し、風鑑《ふうかん》の津梁《しんりょう》たり。※[#「王+共」、第3水準1−87−92]と永楽帝と答問するところの永楽百問の中《うち》、帝鬚《ていしゅ》の事を記す。相法三巻、信ぜざるものは、目して陋書《ろう
前へ 次へ
全116ページ中26ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
幸田 露伴 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング