うどうちょうきりつきょくたいせいししんじんぶんぎぶしゅんとくせいこうこう》皇帝の諡号《しごう》に負《そむ》かざる朱元璋《しゅげんしょう》、字《あざな》は国瑞《こくずい》の世《よ》を辞《じ》して、其《その》身は地に入り、其|神《しん》は空《くう》に帰せんとするに臨みて、言うところ如何《いかん》。一鳥の微《び》なるだに、死せんとするや其声人を動かすと云わずや。太祖の遺詔感ず可《べ》く考う可《べ》きもの無からんや。遺詔に曰く、朕《ちん》皇天の命を受けて、大任に世に膺《あた》ること、三十有一年なり、憂危心に積み、日に勤めて怠らず、専ら民に益あらんことを志しき。奈何《いかん》せん寒微《かんび》より起りて、古人の博智無く、善を好《よみ》し悪を悪《にく》むこと及ばざること多し。今年七十有一、筋力衰微し、朝夕|危懼《きく》す、慮《はか》るに終らざることを恐るのみ。今万物自然の理を得《う》、其《そ》れ奚《いずく》んぞ哀念かこれ有らん。皇太孫|允※[#「火+文」、第4水準2−79−61]《いんぶん》、仁明孝友にして、天下心を帰す、宜《よろ》しく大位に登るべし。中外文武臣僚、心を同じゅうして輔祐《ほゆう》し、以《もっ》て吾《わ》が民を福《さいわい》せよ。葬祭の儀は、一に漢の文帝の如くにして異《こと》にする勿《なか》れ。天下に布告して、朕が意を知らしめよ。孝陵の山川《さんせん》は、其の故《ふるき》に因りて改むる勿《なか》れ、天下の臣民は、哭臨《こくりん》する三日にして、皆服を釈《と》き、嫁娶《かしゅ》を妨ぐるなかれ。諸王は国中に臨《なげ》きて、京師に至る母《なか》れ。諸《もろもろ》の令の中《うち》に在らざる者は、此令を推して事に従えと。
嗚呼《ああ》、何ぞ其言の人を感ぜしむること多きや。大任に膺《あた》ること、三十一年、憂危心に積み、日に勤めて怠らず、専ら民に益あらんことを志しき、と云えるは、真に是《こ》れ帝王の言にして、堂々正大の気象、靄々仁恕《あいあいじんじょ》の情景、百歳の下《しも》、人をして欽仰《きんごう》せしむるに足るものあり。奈何《いかん》せん寒微より起りて、智浅く徳|寡《すくな》し、といえるは、謙遜《けんそん》の態度を取り、反求《はんきゅう》の工夫に切に、諱《い》まず飾らざる、誠に美とすべし。今年七十有一、死|旦夕《たんせき》に在り、といえるは、英雄も亦《また》大限《たいげ
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