ょく》を乞《こ》ひに来ければ、兄は是非なく銭十万を与へけるに、それをも少時《しばし》に用《つか》ひ尽してまた合力を乞ひに来りぬ。一人の弟のことなればと、苦き顔もせで兄はいふまままた十万を与へしに、またそれをさへ遣《つか》ひ果して、例の通りに無心に来ること前の如し。前後合せてかくの如きこと六反《ろくへん》に及びけれど、その度ごとに十万づつ与へて兄は惜《おし》ともおもはざりしが、七反目にいたりてさすがに堪《こら》へきれずなり、父上の遺訓にも背きしのみか数次《しばしば》来りて財を乞ふ段、弟とはいへ奇怪なり、貧しくなりて苦むも皆自らの心がらぞ、この度だけは十万銭を例のごとくに与ふべけれど以後は来るとも与ふまじきぞ、能く心して生活《なりわい》の道を治めよ、と苦《ねんご》ろに説き示しければ、弟はこれを口惜《くちおし》く思ひてその後《のち》生活の道に心を用ひ、漸《ようや》く富を致《いた》しけるが、それに引替へ兄はまた数次《しばしば》弟に財を与へしより貧しくなりて自ら支《ささ》へがたきに及び、かつて与へしこともあれば今は弟に少時《しばし》のところを助けてもらはむと、弟のところに到《いた》りて、我この頃は大きに財に乏しきゆゑ何卒《なにとぞ》合力してくれよといひけるに、弟は答へて、先に我が窮困して汝《おんみ》が許《もと》にいたり僅《わずか》の合力を乞ひしとき汝は何といひ玉ひし、貧しくなりて苦むも皆みづからの心がらぞと情《つれ》なく我を責め玉ひしにはあらずや、我今汝にその語《ことば》を返さん、貧しくなりて苦むも皆みづからの心がらぞ、我は汝を助けがたし、と恩を忘れて謝絶《ことわ》りける。
 兄は弟のあさましき言葉に深き愁《うれい》を起し、血統《ちすじ》の兄弟にてすらもかくまでに酷《むご》く情《つれ》なければまして縁なき世の人をや、ああ厭《いと》はしき世の中なりと、狭き心に思ひ定めて商買《しょうばい》を廃《や》め、僧と身をなして、ひたすらに悪《あし》き世を善に導かんと修行に心を委《ゆだ》ね、ある山深きところに到りて精勤苦行しゐたりけるが、年月《としつき》経《たち》て一旦《いったん》富みし弟の阿利※[#「咤−宀」、第3水準1−14−85]《ありた》は、兄に対して薄情なりし報いのためにや損毛のみ打つづきてまた貧者となり、薪《たきぎ》を売りて辛《から》くも活《い》くる身となりけり。時に兄の利※[#「咤−宀」、第3水準1−14−85]《りた》は托鉢《たくはつ》なして食《し》を得んと城中《まち》に入りしが、生憎《あやにく》布施するものもなかりければ空鉢《くうはつ》をもて還《かえ》らんとしけるが、途《みち》にて弟に行遇《ゆきあ》ひたり。弟は兄を剃髪染衣《ていはつぜんえ》の身ならむとは思ひもかけず、兄は弟を薪売り人《びと》になりをらむとは思ひもかけず、かつ諸共《もろとも》に窶《やつ》れ齢《とし》老いたればそれとも心づかざれど、弟の阿利※[#「咤−宀」、第3水準1−14−85]は尊げなる僧の饑《う》ゑたる面色《おももち》して空鉢を捧《ささ》げ還る風情《ふぜい》を見るより、図らず惻隠《そくいん》の善心を起し、往時《むかし》兄をば情《つれ》なくせしことをも思ひ浮めて悔いつつ、薪に代《か》へて僅に得し稗《ひえ》の※[#「麥にょう+少」、第4水準2−94−55]《こ》あるを与へんと僧を呼び留め、尊者《そんじゃ》よ、道のためにせらるる尊き人よ、幸ひに我が奉つる麁食《そしい》を納め玉はむや、と問へば僧はふりかへりて、薪を売る人よ、世の慾を捨てし我らなればその芳志《こころざし》を受《うく》るのみ、美味と麁食とを撰《えら》ばず、纔《わずか》に身をば支ふれば足れりといふにぞ、便《すなわ》ち稗の※[#「麥にょう+少」、第4水準2−94−55]を布施しけるに、僧は稗の※[#「麥にょう+少」、第4水準2−94−55]を食し訖《おわ》りて去《さり》たりける。
 その後《のち》阿利※[#「咤−宀」、第3水準1−14−85]は薪を取らんと山に行きしが、道にて一匹の兎《うさぎ》を見ければ杖《つえ》ふり上げて丁《ちょう》と撩《う》ちしに、忽《たちま》ち兎は死人と変じて阿利※[#「咤−宀」、第3水準1−14−85]の項《うなじ》に搦《から》み着きたり。これはと大きに驚き呆《あき》れて、推《お》し剥《は》がさんと力を出《いだ》せど少しも離るることなければ、人を頼みて挽却《ひきさ》らしめしも一向さらにその甲斐《かい》なし。是非なく夜《よ》に紛れて我家《わがや》に帰れば、こはまた不思議や、死人の両手は自然に解けて体《たい》は地に堕《お》ち、見る見る灼々《しゃくしゃく》たる光輝を発して無垢《むく》の黄金像となりけり。阿利※[#「咤−宀」、第3水準1−14−85]は大きに驚きながらその像の頭《こうべ》を截《き》り
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