ねじくり博士
幸田露伴

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)大悟《たいご》したる

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)六十四|卦《け》だけ

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   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「諂のつくり+炎」、第3水準1−87−64]
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当世の大博士にねじくり先生というがあり。中々の豪傑、古今東西の書を読みつくして大悟《たいご》したる大哲学者と皆人恐れ入りて閉口せり。一日某新聞社員と名刺に肩書のある男尋ね来り、室に入りて挨拶するや否《いな》、早速、先生の御高説をちと伺いたし、と新聞屋の悪い癖で無暗《むやみ》に「人を食物《くいもの》にする」会話を仕出す。ところが大哲学者もとより御人好《おひとよし》の質《たち》なれば得意になッて鼻をクンクンいわせながら饒舌《しゃべ》り出す。どうも凡人は困りますよ、社会を直線ずくめに仕たがるのには困るよ。チト宇宙の真理を見ればよいのサ。政事家は政事家で、自己の議論を実行して世界を画一のものにしようなんという馬鹿気《ばかげ》ているのが有るし。文人は文人で自己流の文章を尺度にしてキチンと文体を定《き》めたがッたり、実に馬鹿馬鹿しい想像をもッているのが多いから情ないのサ。親父は親父の了簡で家をキチンと治めたがり、息子は息子の了簡で世を渡りたがるのだからね。自己《おれ》が大能力があッたら乱雑の世界を整頓してやろうなんかんというのが当世の薄ら生意気の紳士の欲望だが、そんなつまらない事が出来るものカネ。天地は重箱の中を附木で境《しき》ッたようになッてたまるものか。兎角《とかく》コチンコチンコセコセとした奴らは市区改正の話しを聞くと直《すぐ》に日本が四角の国でないから残念だなどと馬鹿馬鹿しい事を考えるのサ。白痴が羊羹を切るように世界の事が料理されてたまるものか。元来古今を貫ぬく真理を知らないから困るのサ、僕が大真理を唱えて万世の煩悩を洗ッてやろうというのも此奴《こいつ》らのためサ。マア聞き玉《たま》え真理を話すから。迂濶に聞ていてはいけないよ、真理を発揮してやるから。僕は実に天地の機微を観破したのサ。中々安くない論サ。チンダルから昨日手紙をよこして是非来年は拝聴に上るというのサ。そのくらいの訳だから日本人に分るような浅薄ナ論じゃアない。ダガネ、論をする前に君に教えておく事があるのサ。いいかえ、臆えて置玉え、妙な理屈だゼ。マアこうサ。第一、人間というものは愚なものだ、という事は承知するだろう。その愚なものに好《よし》と思われる論は愚論サ。僕の論は平常《なみ》の人にはきっと悪くいわれるよ。ダカラ愚論でないのサ。愚論でないから分らないのサ。人間に分るような浅薄の議論は仕方がないのサ。人間に分らないくらい高尚幽玄の論だから気を静めて聞玉えよ。よしカネ、まず我輩が宇宙を貫ぬく大真理を発見した履歴を話そうよ。僕がネ幼少の時にフト感じた事があるのサ。実にネ、大発明というものはつまらない所から起るもので、僕の大真理は道から出たのサ。僕が田舎に居て小学校へ通う時分にネ、草の茂ッた広い野を一ツ越して行くのサ。毎日毎日通学するのだがネ。爰《ここ》に或《ある》朝偶然大真理を発見する種になる事に出逢ッたのサ。ちょうど或朝少し後れて家を出たが、時間が例《いつも》より後れたから駈出したのサ。所が何も障害物のない広い野だのに、道が真直についていないのサ。道が真直についていれば早く到着するのだのにサ。君も知ているだろう、二点の間の最も近きは直線なりという訳サ。所がヒニクに道路が曲りくねッてついているのサ。爰だテ、なぜ道が曲ッてついているのだろう。これを研究したらば誰も真理を発明するのサ。余程面白い事だぜ、君も試に考えて見玉え。これが大真理だよ。中々分るまい。どうだ爰だよ、僕の新発明は。

僕はそれからなぜだか分らないから頻《しき》りに宇宙を見たのサ、道は曲ッてついている、真直にすれば近いものを態《わざ》と迂曲《まわっ》て人のあるく所が妙じゃないか。そこで僕はなぜねじれているのだろうとおもッたが、不思議なもので皆ねじれてるよ天地のことは。イイカネ、ソコデ今日僕が発明したのは「ねじねじは宇宙の大法なり」という真理サ。妙なものだよ、マア聞玉え。即ちスパイラルシステムというのサ、螺線《らせん》サ螺線サ、天地は螺線的なのサ、古今の愚人どもがこの螺線法を知らないから困るのサ。まず手近に例を取て見せようか。犬の尻尾は即ち螺線なのサ。君の頭に生ている毛は螺線に生えてるのサ。イイカネ、螺線の類は非常に多いがネ、第一は直線的有則螺線サ、これは玩弄《おもちゃ》の鉄砲の中にある蛇腹のような奴サ、第二は曲線的有則螺線サ、これはつ
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