、……
「就きましては、真《まこと》に申兼ねましたが、その蝋燭でございます。」
「蝋燭は分ったであす。」
小鼻に皺《しわ》を寄せて、黒子に網の目の筋を刻み、
「御都合じゃからお蝋は上げぬようにと言うのじゃ。御随意であす。何か、代物を所持なさらんで、一挺、お蝋が借りたいとでも言わるる事か、それも御随意であす。じゃが、もう時分も遅いでな。」
「いいえ、」
「はい、」と、もどかしそうな鼻息を吹く。
「何でございます、その、さような次第ではございません。それでございますから、申しにくいのでございますが、思召《おぼしめし》を持ちまして、お蝋を一挺、お貸し下さる事にはなりますまいでございましょうか。」
「じゃから、じゃから御随意であす。じゃが時刻も遅いでな、……見なさる通り、燈明をしめしておるが、それともに点《つ》けるであすか。」
「それがでございます。」
と疲れた状《さま》にぐたりと賽銭箱の縁《へり》に両手を支《つ》いて、両の耳に、すくすくと毛のかぶさった、小さな頭をがっくりと下げながら、
「一挺お貸し下さいまし、……と申しますのが、御神前に備えるではございません。私《てまえ》、頂いて帰りたいのでございます。」
「お蝋を持って行くであすか。ふうむ、」と大《おおき》く鼻を鳴《なら》す。
「それも、一度お供えになりました、燃えさしが願いたいのでございまして。」
いや、時節がら物騒千万。
三
「待て、待て、ちょっと……」
往来|留《どめ》の提灯《ちょうちん》はもう消したが、一筋、両側の家の戸を鎖《さ》した、寂《さみ》しい町の真中《まんなか》に、六道の辻の通《みち》しるべに、鬼が植えた鉄棒《かなぼう》のごとく標《しるし》の残った、縁日果てた番町|通《どおり》。なだれに帯板へ下りようとする角の処で、頬被《ほおかぶり》した半纏着《はんてんぎ》が一人、右側の廂《ひさし》が下った小家の軒下暗い中から、ひたひたと草履で出た。
声も立てず往来留のその杙《くい》に並んで、ひしと足を留めたのは、あの、古井戸の陰から、よろりと出て、和尚に蝋燭の燃えさしをねだった、なぜ、その手水鉢の柄杓を盗まなかったろうと思う、船幽霊《ふなゆうれい》のような、蒼《あお》しょびれた男である。
半纏着は、肩を斜《はす》っかいに、つかつかと寄って、
「待てったら、待て。」とドス声を渋くかすめて、
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