爺《じい》さんだと言わあ。早い話がじゃ、この一棟四軒長屋の真暗《まっくら》な図体の中に、……」
 と鏝《こて》を塗って、
「まあ、可《い》やね、お前《めえ》、別にお前、怪しいたッて、何も、ねえ、まあ、お互に人間に変りはねえんだから、すぐにさようならにしようと思った。だけれど、話の口明《くちあけ》が、宿《しゅく》の女郎だ。おまけに別嬪《べっぴん》と来たから、早い話が。
 でまあ、その何だ、私《わっし》も素人じゃねえもんだから、」
 と目潰《めつぶ》しの灰の気さ。
「一ツ詮索《せんさく》をして帰ろう、と居坐ったがね、……気にしなさんな。別にお前の身体《からだ》を裏返しにして、綺麗に洗いだてをしようと云うんじゃねえ。可いから、」
 と云う中《うち》にも、じろりと視《み》る、そりゃ光るわ、で鏝を塗って、
「大目に見てやら。ね、早い話が。僕は帰るよ、気にしなさんな。」
「ええ、いや、私《てまえ》の方で、気にしない次第《わけ》には参りません。」
 欣八、ぎょっとして、
「そうかね、……はてね。……トオカミ、エミタメはどんなものだ。」と字《あざな》は孔明、琴を弾く。

       八

「で、その初会の晩なぞは、見得に技師だって言いました。が、私《てまえ》はその頃、小石川へ勤めました鉄砲組でございますが、」
「ああ、造兵かね、私《わっし》の友達にも四五人居るよ。中の一人は、今夜もお不動様で一所だっけ。そうかい、そいつは頼母《たのも》しいや。」と欣八いささか色を直す。
「見なさいます通りで、我ながら早やかように頼母しくなさ過ぎます。もっとも、車夫の看板を引抜いて、肩で暖簾を分けながら、遊ぶぜ、なぞと酔った晩は、そりゃ威勢が可《よ》うがした。」
 と投首しつつ、また吐息《といき》。じっと灯《ともしび》を瞻《みまも》ったが、
「ところで、肝心のその燃えさしの蝋燭の事でございます。
 嘘か、真《まこと》かは分りません。かねて、牛鍋のじわじわ酒に、夥間《なかま》の友だちが話しました事を、――その大木戸向うで、蝋燭の香《におい》を、芬《ぷん》と酔爛《よいただ》れた、ここへ、その脳へ差込まれましたために、ふと好事《ものずき》な心が、火取虫といった形で、熱く羽ばたきをしたのでございます。
 内には柔《やさ》しい女房もございました。別に不足というでもなし、……宿《しゅく》へ入ったというものは、た
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