ら》が、墓地下で口をあけて、もう喚《わめ》き、冷めし草履の馴《な》れたもので、これは磽※[#「石+角」、第3水準1−89−6]《こうかく》たる径《みち》は踏まない。草土手を踏んで横ざまに、傍《そば》へ来た。
 続いて日傭取《ひようとり》が、おなじく木戸口へ、肩を組合って低く出た。
「ごめんなせえましよ、お客様。……ご機嫌よくこうやってござらっしゃる処を見ると、間違《まちげ》えごともなかったの、何も、別条はなかっただね。」
「ところが、おっさん、少々別条があるんですよ。きみたちの仕事を、ちょっと無駄にしたぜ。一杯買おう、これです、ぶつぶつに縄を切払《きっぱら》った。」
「はい、これは、はあ、いい事をさっせえて下さりました。」
「何だか、あべこべのような挨拶だな。」
「いんね、全くいい事をなさせえました。」
「いい事をなさいましたじゃないわ、おいたわしいじゃないの、女※[#くさかんむり/(月+曷)」、第3水準1−91−26]さんがさ。」
「ご新姐、それがね、いや、この、からげ縄、畜生。」
 そこで、踞《かが》んで、毛虫を踏潰《ふみつぶ》したような爪さきへ近く、切れて落ちた、むすびめの節立った荒縄を手繰棄てに背後《うしろ》へ刎出《はねだ》しながら、きょろきょろと樹の空を見廻した。
 妙なもので、下木戸の日傭取たちも、申合せたように、揃って、踞《かが》んで、空を見る目が、皆動く。
「いい塩梅《あんばい》に、幽霊蜻蛉、消えただかな。」
「一体何だね、それは。」
「もの、それがでござりますよ、お客様、この、はい、石塔を動かすにつきましてだ。」
「いずれ、あの糸塚とかいうのについての事だろうが、何かね、掘返してお骨でも。」
「いや、それはなりましねえ。記念碑発起押っぽだての、帽子、靴、洋服、袴《はかま》、髯《ひげ》の生えた、ご連中さ、そのつもりであったれど、寺の和尚様、承知さっしゃりましねえだ。ものこれ、三十年|経《た》ったとこそいえ、若い女※[#くさかんむり/(月+曷)」、第3水準1−91−26]《じょうろう》が埋《うま》ってるだ。それに、久しい無縁墓だで、ことわりいう檀家もなしの、立合ってくれる人の見分もないで、と一論判《ひとろっぱん》あった上で、土には触らねえ事になったでがす。」
「そうあるべき処だよ。」
「ところで、はい、あのさ、石彫《いしぼり》の大《でけ》え糸枠の上へ、がっしりと、立派なお堂を据えて戸をあけたてしますだね、その中へこの……」
 お米は着流しのお太鼓で、まことに優に立っている。
「おお、成仏をさっしゃるずら、しおらしい、嫁菜の花のお羽織きて、霧は紫の雲のようだ、しなしなとしてや。」
 と、苔《こけ》の生えたような手で撫《な》でた。
「ああ、擽《くすぐ》ったい。」
「何でがすい。」
 と、何も知らず、久助は墓の羽織を、もう一撫で。
「この石塔を斎《いつ》き込むもくろみだ。その堂がもう出来て、切組みも済ましたで、持込んで寸法をきっちり合わす段が、はい、ここはこの通り足場が悪いと、山門|内《うち》まで運ぶについて、今日さ、この運び手間だよ。肩がわりの念入りで、丸太棒《まるたんぼう》で担《かつ》ぎ出しますに。――丸太棒めら、丸太棒を押立《おった》てて、ごろうじませい、あすこにとぐろを巻いていますだ。あのさきへ矢羽根をつけると、掘立普請の斎《とき》が出るだね。へい、墓場の入口だ、地獄の門番……はて、飛んでもねえ、肉親のご新姐ござらっしゃる。」
 と、泥でまぶしそうに、口の端《はた》を拳《こぶし》でおさえて、
「――そのさ、担ぎ出しますに、石の直肌《じかはだ》に縄を掛けるで、藁《わら》なり蓆《むしろ》なりの、花ものの草木を雪囲いにしますだね、あの骨法でなくば悪かんべいと、お客様の前《めえ》だけんど、わし一応はいうたれども、丸太棒めら。あに、はい、墓さ苞入《つといり》に及ぶもんか、手間|障《ざい》だ。また誰も見ていねえで、構いごとねえだ、と吐《こ》いての。
 和尚様は今日は留守なり、お納所《なっしょ》、小僧も、総斎《そうどき》に出さしった。まず大事ねえでの。はい、ぐるぐるまきのがんじがらみ、や、このしょで、転がし出した。それさ、その形《かた》でがすよ。わしさ屈腰《かがみごし》で、膝はだかって、面《つら》を突出す。奴等《やつら》三方からかぶさりかかって、棒を突挿そうとしたと思わっせえまし。何と、この鼻の先、奴等の目の前へ、縄目へ浮いて、羽さ弾《はじ》いて、赤蜻蛉が二つ出た。
 たった今や、それまでというものは、四人八ツの、団栗目《どんぐりまなこ》に、糠虫《ぬかむし》一疋入らなんだに、かけた縄さ下から潜《くぐ》って石から湧《わ》いて出たはどうしたもんだね。やあやあ、しっしっ、吹くやら、払いますやら、静《じっ》として赤蜻蛉が動かねえとなると、はい、時代違いで、何の気もねえ若い徒《てやい》も、さてこの働きに掛《かか》ってみれば、記念碑糸塚の因縁さ、よく聞いて知ってるもんだで。
 ほれ、のろのろとこっちさ寄って来るだ。あの、さきへ立って、丸太棒をついた、その手拭《てぬぐい》をだらりと首へかけた、逞《たくまし》い男でがす。奴が、女※[#くさかんむり/(月+曷)」、第3水準1−91−26]の幽霊でねえか。出たッと、また髯《ひげ》どのが叫ぶと、蜻蛉がひらりと動くと、かっと二つ、灸《きゅう》のような炎が立つ。冷い火を汗に浴びると、うら山おろしの風さ真黒《まっくろ》に、どっと来た、煙の中を、目が眩《くら》んで遁《に》げたでござえますでの。………
 それでがすもの、ご新姐、お客様。」
「それじゃ、私たち差出た事は、叱言《こごと》なしに済むんだね。」
「ほってもねえ、いい人扶《ひとだす》けして下せえましたよ。時に、はい、和尚様帰って、逢わっせえても、万々沙汰なしに頼みますだ。」
 そこへ、丸太棒が、のっそり来た。
「おじい、もういいか、大丈夫かよ。」
「うむ、見せえ、大智識さ五十年の香染《こうぞめ》の袈裟《けさ》より利益があっての、その、嫁菜の縮緬《ちりめん》の裡《なか》で、幽霊はもう消滅だ。」
「幽霊も大袈裟だがよ、悪く、蜻蛉に祟《たた》られると、瘧《おこり》を病むというから可恐《おっかね》えです。縄をかけたら、また祟って出やしねえかな。」
 と不精髯の布子が、ぶつぶついった。
「そういう口で、何で包むもの持って来ねえ。糸塚さ、女※[#くさかんむり/(月+曷)」、第3水準1−91−26]様、素《す》で括《くく》ったお祟りだ、これ、敷松葉の数寄屋《すきや》の庭の牡丹に雪囲いをすると思えさ。」
「よし、おれが行く。」
 と、冬の麦稈帽《むぎわらぼう》が出ようとする。
「ああ、ちょっと。」
 袖を開いて、お米が留めて、
「そのまま、その上からお結《いわ》えなさいな。」
 不精髯が――どこか昔の提灯屋に似ていたが、
「このままでかね、勿体《もってい》至極もねえ。」
「かまいませんわ。」
「構わねえたって、これ、縛るとなると。」
「うつくしいお方が、見てる前で、むざとなあ。」
 麦藁《むぎわら》と、不精髯が目を見合って、半ば呟《つぶや》くがごとくにいう。
「いいんですよ、構いませんから。」
 この時、丸太棒が鉄のように見えた。ぶるぶると腕に力の漲《みなぎ》った逞《たくま》しいのが、
「よし、石も婉軟《やんわり》だろう。きれいなご新姐を抱くと思え。」
 というままに、頸《くび》の手拭が真額《まっこう》でピンと反《そ》ると、棒をハタと投げ、ずかと諸手を墓にかけた。袖の撓《しな》うを胸へ取った、前抱きにぬっと立ち、腰を張って土手を下りた。この方が掛《かか》り勝手がいいらしい。巌路《いわみち》へ踏みはだかるように足を拡げ、タタと総身に動揺《いぶり》を加《く》れて、大きな蟹が竜宮の女房を胸に抱いて逆落しの滝に乗るように、ずずずずずと下りて行《ゆ》く。
「えらいぞ、権太、怪我をするな。」
 と、髯が小走りに、土手の方から後へ下りる。
「俺だって、出来ねえ事はなかったい、遠慮をした、えい、誰に。」
 と、お米を見返って、ニヤリとして、麦藁が後に続いた。
「頓生菩提《とんしょうぼだい》。……小川へ流すか、燃しますべい。」
 そういって久助が、掻き集めた縄の屑《くず》を、一束ねに握って腰を擡《もた》げた時は、三人はもう木戸を出て見えなかったのである。
「久……爺や、爺やさん、羽織はね。式台へほうり込んで置いて可《い》いんですよ。」
 この羽織が、黒塗の華頭窓に掛《かか》っていて、その窓際の机に向って、お米は細《ほっそ》りと坐っていた。冬の日は釣瓶《つるべ》おとしというより、梢《こずえ》の熟柿《じゅくし》を礫《つぶて》に打って、もう暮れて、客殿の広い畳が皆暗い。
 こんなにも、清らかなものかと思う、お米の頸《えり》を差覗《さしのぞ》くようにしながら、盆に渋茶は出したが、火を置かぬ火鉢越しにかの机の上の提灯を視《み》た。
(――この、提灯が出ないと、ご迷惑でも話が済まない――)
 信仰に頒布する、当山、本尊のお札を捧げた三宝を傍《かたわら》に、硯箱《すずりばこ》を控えて、硯の朱の方に筆を染めつつ、お米は提灯に瞳を凝らして、眉を描くように染めている。
「――きっと思いついた、初路さんの糸塚に手向けて帰ろう。赤蜻蛉――尾を銜《くわ》えたのを是非頼む。塗師屋さんの内儀でも、女学校の出じゃないか。絵というと面倒だから図画で行くのさ。紅《べに》を引いて、二つならべれば、羽子の羽でもいい。胡蘿蔔《にんじん》を繊に松葉をさしても、形は似ます。指で挟んだ唐辛子でも構わない。――」
 と、たそがれの立籠めて一際漆のような板敷を、お米の白い足袋の伝う時、唆《そその》かして口説いた。北辰妙見菩薩《ほくしんみょうけんぼさつ》を拝んで、客殿へ退《ひ》く間《ま》であったが。
 水をたっぷりと注《さ》して、ちょっと口で吸って、莟《つぼみ》の唇をぽッつり黒く、八枚の羽を薄墨で、しかし丹念にあしらった。瀬戸の水入が渋のついた鯉だったのは、誂《あつら》えたようである。
「出来た、見事々々。お米坊、机にそうやった処は、赤絵の紫式部だね。」
「知らない、おっかさんにいいつけて叱らせてあげるから。」
「失礼。」
 と、茶碗が、また、赤絵だったので、思わず失言を詫《わ》びつつ、準藤原女史に介添してお掛け申す……羽織を取入れたが、窓あかりに、
「これは、大分うらに青苔がついた。悪いなあ。たたんで持つか。」
 と、持ったのに、それにお米が手を添えて、
「着ますわ。」
「きられるかい、墓のを、そのまま。」
「おかわいそうな方のですもの、これ、荵摺《しのぶずり》ですよ。」
 その優しさに、思わず胸がときめいて。
「肩をこっちへ。」
「まあ、おじさん。」
「おっかさんの名代だ、娘に着せるのに仔細《しさい》ない。」
「はい、……どうぞ。」
 くるりと向きかわると、思いがけず、辻町の胸にヒヤリと髪をつけたのである。
「私、こいしい、おっかさん。」
 前刻《さっき》から――辻町は、演芸、映画、そんなものの楽屋に縁がある――ほんの少々だけれども、これは筋にして稼げると、潜《ひそか》に悪心の萌《きざ》したのが、この時、色も、慾《よく》も何にもない、しみじみと、いとしくて涙ぐんだ。
「へい。お待遠でござりました。」
 片手に蝋燭《ろうそく》を、ちらちら、片手に少しばかり火を入れた十能を持って、婆さんが庫裏《くり》から出た。
「糸塚さんへ置いて行きます、あとで気をつけて下さいましよ、烏が火を銜《くわ》えるといいますから。」
 お米も、式台へもうかかった。
「へい、もう、刻限で、危気《あぶなげ》はござりましねえ、嘴太烏《ふと》も、嘴細烏《ほそ》も、千羽ヶ淵の森へ行《い》んで寝ました。」
 大城下は、目の下に、町の燈《ひ》は、柳にともれ、川に流るる。磴《いしだん》を下へ、谷の暗いように下りた。場末の五|燈《しょく》はまだ来ない。
 あきない帰りの豆府屋が、ぶつかるように、ハタと留った時、
「あれ、蜻蛉が。」
 お米が膝をついて、手を合せ
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