艶《つや》も、霞を払ってきっぱりと立っていて、(兄さん身投げですよ、お城の堀で。)(嘘だよ、ここに活きてるよ。)と、うっかり私が言ったんだから、お察しものです。すぐ背後《うしろ》の土間じゃ七十を越した祖母《ばあ》さんが、お櫃《ひつ》の底の、こそげ粒で、茶粥《ちゃがゆ》とは行きません、みぞれ雑炊を煮てござる。前々年、家《うち》が焼けて、次の年、父親がなくなって、まるで、掘立小屋だろう。住むにも、食うにも――昨夜《ゆうべ》は城のここかしこで、早い蛙がもう鳴いた、歌を唄ってる虫けらが、およそ羨《うらやま》しい、と云った場合。……祖母さんは耳が遠いから可《よ》かったものの、(活きてるよ。)は何事です。(何を寝惚《ねぼ》けているんです。しっかりするんです。)その頃の様子を察しているから、お京さん――ままならない思遣りのじれったさの疳癪筋《かんしゃくすじ》で、ご存じの通り、一《いち》うちの眉を顰《ひそ》めながら、(……町内ですよ、ここの。いま私、前を通って来たんだけれど、角の箔屋《はくや》。――うちの人じゃあない、世話になって、はんけちの工場《こうば》へ勤めている娘さんですとさ。ちゃんと目をあいて……あれ、あんなに人が立っている。)うららかな朝だけれど、路が一条《ひとすじ》、胡粉《ごふん》で泥塗《だみ》たように、ずっと白く、寂然《しん》として、家《や》ならび、三町ばかり、手前どもとおなじ側《かわ》です、けれども、何だか遠く離れた海際まで、突抜けになったようで、そこに立っている人だかりが――身を投げたのは淵《ふち》だというのに――打って来る波を避けるように、むらむらと動いて、地《つち》がそこばかり、ぐっしょり汐《しお》に濡れているように見えた。
花はちらちらと目の前へ散って来る。
私の小屋と真向《まむかい》の……金持は焼けないね……しもた屋の後妻《うわなり》で、町中の意地悪が――今時はもう影もないが、――それその時飛んで来た、燕の羽の形に後《うしろ》を刎《は》ねた、橋髷《はしまげ》とかいうのを小さくのっけたのが、門《かど》の敷石に出て来て立って、おなじように箔屋の前を熟《じっ》とすかして視《み》ていた。その継娘《ままむすめ》は、優しい、うつくしい、上品な人だったが、二十《はたち》にもならない先に、雪の消えるように白梅と一所に水で散った。いじめ殺したんだ、あの継母がと、町内で沙汰《さた》をした。その色の浅黒い後妻《うわなり》の眉と鼻が、箔屋を見込んだ横顔で、お米さんの前髪にくッつき合った、と私の目に見えた時さ。(いとしや。)とその後妻が、(のう、ご親類の、ご新姐《しんぞ》さん。)――悉《くわ》しくはなくても、向う前だから、様子は知ってる、行来《ゆきき》、出入りに、顔見知りだから、声を掛けて、(いつ見ても、好容色《ごきりょう》なや、ははは。)と空《そら》笑いをやったとお思い、(非業の死とはいうけれど、根は身の行いでござりますのう。)とじろりと二人を見ると、お京さん、御母堂だよ、いいかい。怪我にも真似なんかなさんなよ。即時、好容色《ごきりょう》な頤《あご》を打《ぶ》つけるようにしゃくって、(はい、さようでござります、のう。)と云うが疾《はや》いか、背中の子。」
辻町は、時に、まつげの深いお米と顔を見合せた。
「その日は、当寺《こちら》へお参りに来がけだったのでね、……お京さん、磴《いしだん》が高いから半纏《はんてん》おんぶでなしに、浅黄鹿の子の紐でおぶっていた。背中へ、べっかっこで、(ばあ。)というと、カタカタと薄歯の音を立てて家《うち》ン中へ入ったろう。私が後妻《うわなり》に赤くなった。
負《おぶ》っていたのが、何を隠そう、ここに好容色で立っている、さて、久しぶりでお目にかかります。お前さんだ、お米坊――二歳《ふたつ》、いや、三つだったか。かぞえ年。」
「かぞえ年……」
「ああ、そうか。」
「おじさんの家の焼けた年、お産間近に、お母《っか》さんが、あの、火事場へ飛出したもんですから、そのせいですって……私には痣《あざ》が。」
睫毛《まつげ》がふるえる。辻町は、ハッとしたように、ふと肩をすくめた。
「あら、うっかり、おじさんだと思って、つい。……真紅《まっか》でしたわ、おとなになって今じゃ薄《うっす》りとただ青いだけですの。」
おじさんは目を俯《ふ》せながら、わざと見まもったようにこういった。
「見えやしない、なにもないじゃないか、どこなのだね。」
「知らない。」
「まあさ。」
「乳の少し傍《わき》のところ。」
「きれいだな、眉毛を一つ剃《そ》った痕《あと》か、雪間の若菜……とでも言っていないと――父がなくなって帰ったけれど、私が一度無理に東京へ出ていた留守です。私の家《うち》のために、お京さんに火事場を踏ませて申訳がないよ。――とこ
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