縷紅新草
泉鏡花

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)蜻蛉《とんぼ》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)大川|縁《べり》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「目+爭」、第3水準1−88−85]
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       一

[#ここから2字下げ]
あれあれ見たか、
  あれ見たか。
二つ蜻蛉《とんぼ》が草の葉に、
かやつり草に宿をかり、
人目しのぶと思えども、
羽はうすものかくされぬ、
すきや明石《あかし》に緋《ひ》ぢりめん、
肌のしろさも浅ましや、
白い絹地の赤蜻蛉。
雪にもみじとあざむけど、
世間稲妻、目が光る。
  あれあれ見たか、
    あれ見たか。
[#ここで字下げ終わり]

「おじさん――その提灯《ちょうちん》……」
「ああ、提灯……」
 唯今《ただいま》、午後二時半ごろ。
「私が持ちましょう、磴《いしだん》に打撞《ぶつか》りますわ。」
 一肩上に立った、その肩も裳《すそ》も、嫋《しなやか》な三十ばかりの女房が、白い手を差向けた。
 お米といって、これはそのおじさん、辻町糸七――の従姉《いとこ》で、一昨年《おととし》世を去ったお京の娘で、土地に老鋪《しにせ》の塗師屋《ぬしや》なにがしの妻女である。
 撫《な》でつけの水々しく利いた、おとなしい、静《しずか》な円髷《まるまげ》で、頸脚《えりあし》がすっきりしている。雪国の冬だけれども、天気は好《よ》し、小春日和だから、コオトも着ないで、着衣《きもの》のお召《めし》で包むも惜しい、色の清く白いのが、片手に、お京――その母の墓へ手向ける、小菊の黄菊と白菊と、あれは侘《わび》しくて、こちこちと寂しいが、土地がら、今時はお定《さだま》りの俗に称《とな》うる坊さん花、薊《あざみ》の軟《やわらか》いような樺紫《かばむらさき》の小鶏頭《こげいとう》を、一束にして添えたのと、ちょっと色紙の二本たばねの線香、一銭蝋燭《いちもんろうそく》を添えて持った、片手を伸べて、「その提灯を」といったのである。
 山門を仰いで見る、処々、壊《く》え崩れて、草も尾花もむら生えの高い磴を登りかかった、お米の実家の檀那寺《だんなでら》――仙晶寺というのである。が、燈籠寺《とうろうでら》といった方がこの大城下によく通る。
 去《さん》ぬる……いやいや、いつの年も、盂蘭盆《うらぼん》に墓地へ燈籠を供えて、心ばかり小さな燈《あかり》を灯《とも》すのは、このあたりすべてかわりなく、親類一門、それぞれ知己《ちかづき》の新仏へ志のやりとりをするから、十三日、迎火を焚《た》く夜《よ》からは、寺々の卵塔は申すまでもない、野に山に、標石《しめいし》、奥津城《おくつき》のある処、昔を今に思い出したような無縁墓、古塚までも、かすかなしめっぽい苔《こけ》の花が、ちらちらと切燈籠《きりこ》に咲いて、地《つち》の下の、仄白《ほのじろ》い寂しい亡霊《もうれい》の道が、草がくれ木《こ》の葉がくれに、暗夜《やみ》には著《しる》く、月には幽《かす》けく、冥々《めいめい》として顕《あら》われる。中でも裏山の峰に近い、この寺の墓場の丘の頂に、一樹、榎《えのき》の大木が聳《そび》えて、その梢《こずえ》に掛ける高燈籠が、市街の広場、辻、小路。池、沼のほとり、大川|縁《べり》。一里西に遠い荒海の上からも、望めば、仰げば、佇《たたず》めば、みな空に、面影に立って見えるので、名に呼んで知られている。
 この燈籠寺に対して、辻町糸七の外套《がいとう》の袖から半間《はんま》な面《つら》を出した昼間の提灯は、松風に颯《さっ》と誘われて、いま二葉三葉散りかかる、折からの緋葉《もみじ》も灯《とも》れず、ぽかぽかと暖い磴の小草《こぐさ》の日だまりに、あだ白けて、のびれば欠伸《あくび》、縮むと、嚔《くしゃみ》をしそうで可笑《おか》しい。
 辻町は、欠伸と嚔を綯《な》えたような掛声で、
「ああ、提灯。いや、どっこい。」
 と一段踏む。
「いや、どっこい。」
 お米が莞爾《にっこり》、
「ほほほ、そんな掛声が出るようでは、おじさん。」
「何、くたびれやしない。くたびれたといったって、こんな、提灯の一つぐらい。……もっとも持重りがしたり、邪魔になるようなら、ちょっと、ここいらの薄《すすき》の穂へ引掛《ひっか》けて置いても差支えはないんだがね。」
「それはね、誰も居ない、人通りの少い処だし、お寺ですもの。そこに置いといたって、人がどうもしはしませんけれど。……持ちましょうというのに持たさないで、おじさん、自分の手で…」
「自分の手で。」
「あんな、知らない顔をして、自分の手からお手向けなさりたいのでしょう。ここへ置いて行
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