くて、面白くって、絵具を解き溜《た》めた大摺鉢《おおすりばち》へ、鞠子《まりこ》の宿《しゅく》じゃないけれど、薯蕷汁《とろろ》となって溶込むように……学校の帰途《かえり》にはその軒下へ、いつまでも立って見ていた事を思出した。時雨も霙《みぞれ》も知っている。夏は学校が休《やすみ》です。桜の春、また雪の時なんぞは、その緋牡丹の燃えた事、冴えた事、葉にも苔《こけ》にも、パッパッと惜気《おしげ》なく金銀の箔《はく》を使うのが、御殿の廊下へ日の射《さ》したように輝いた。そうした時は、家《うち》へ帰る途中の、大川の橋に、綺麗な牡丹が咲いたっけ。
 先刻《さっき》のあの提灯屋は、絵比羅も何にも描いてはいない。番傘の白いのを日向《ひなた》へ並べていたんだが、つい、その昔を思出して、あんまり店を覗《のぞ》いたので、ただじゃ出て来にくくなったもんだから、観光団お買上げさ。
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――ご紋は――
――牡丹――
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 何、描かせては手間がとれる……第一実用むきの気といっては、いささかもなかったからね。これは、傘《からかさ》でもよかったよ。パッと拡げて、菊を持ったお米さんに、背後《うしろ》から差掛けて登れば可《よ》かった。」
「どうぞ。……女万歳の広告に。」
「仰せのとおり。――いや、串戯《じょうだん》はよして。いまの並べた傘の小間|隙間《すきま》へ、柳を透いて日のさすのが、銀の色紙《しきし》を拡げたような処へ、お前さんのその花についていたろう、蝶が二つ、あの店へ翔込《たちこ》んで、傘の上へ舞ったのが、雪の牡丹へ、ちらちらと箔《はく》が散浮く……
 そのままに見えたと思った時も――箔――すぐこの寺に墓のある――同町内に、ぐっしょりと濡れた姿を儚《はかな》く引取った――箔屋――にも気がつかなかった。薄情とは言われまいが、世帯の苦労に、朝夕は、細く刻んでも、日は遠い。年月が余り隔《へだた》ると、目前《めのまえ》の菊日和も、遠い花の霞になって、夢の朧《おぼろ》が消えて行《ゆ》く。
 が、あらためて、澄まない気がする。御母堂の奥津城を展じたあとで。……ずっと離れているといいんだがな。近いと、どうも、この年でも極《きま》りが悪い。きっと冷かすぜ、石塔の下から、クックッ、カラカラとまず笑う。」
「こわい、おじさん。お母《っか》さんだがいいけれど。……私がついていま
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