露肆
泉鏡花
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)露店《よみせ》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)この節|当《あて》もなし
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(数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「火+發」、422−7]《ぱっ》
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一
寒くなると、山の手大通りの露店《よみせ》に古着屋の数が殖《ふ》える。半纏《はんてん》、股引《ももひき》、腹掛《はらがけ》、溝《どぶ》から引揚げたようなのを、ぐにゃぐにゃと捩《よじ》ッつ、巻いつ、洋燈《ランプ》もやっと三分《さんぶ》心《しん》が黒燻《くろくすぶ》りの影に、よぼよぼした媼《ばあ》さんが、頭からやがて膝《ひざ》の上まで、荒布《あらめ》とも見える襤褸頭巾《ぼろずきん》に包《くる》まって、死んだとも言わず、生きたとも言わず、黙って溝のふちに凍り着く見窄《みすぼ》らしげな可哀《あわれ》なのもあれば、常店《じょうみせ》らしく張出した三方へ、絹二子《きぬふたこ》の赤大名、鼠の子持縞《こもちじま》という男物の袷羽織《あわせばおり》。ここらは甲斐絹裏《かいきうら》を正札附、ずらりと並べて、正面左右の棚には袖裏《そでうら》の細《ほっそ》り赤く見えるのから、浅葱《あさぎ》の附紐《つけひも》の着いたのまで、ぎっしりと積上げて、小さな円髷《まげ》に結った、顔の四角な、肩の肥《ふと》った、きかぬ気らしい上《かみ》さんの、黒天鵝絨《くろびろうど》の襟巻したのが、同じ色の腕までの手袋を嵌《は》めた手に、細い銀煙管《ぎんぎせる》を持ちながら、店《たな》が違いやす、と澄まして講談本を、ト円心《まるじん》に翳《かざ》していて、行交う人の風采《ふうつき》を、時々、水牛縁《すいぎゅうぶち》の眼鏡の上からじろりと視《なが》めるのが、意味ありそうで、この連中には小母御《おばご》に見えて――
湯帰《ゆあが》りに蕎麦《そば》で極《き》めたが、この節|当《あて》もなし、と自分の身体《からだ》を突掛《つっか》けものにして、そそって通る、横町の酒屋の御用聞《ごようきき》らしいのなぞは、相撲の取的《とりてき》が仕切ったという逃尻《にげじり》の、及腰《およびごし》で、件《くだん》の赤大名の襟を恐る恐る引張りながら、
「阿母《おふくろ》。」
などと敬意を表する。
商売|冥利《みょうり》、渡世《くちすぎ》は出来るもの、商《あきない》はするもので、五布《いつの》ばかりの鬱金《うこん》の風呂敷一枚の店に、襦袢《じゅばん》の数々。赤坂だったら奴《やっこ》の肌脱《はなぬぎ》、四谷じゃ六方を蹈《ふ》みそうな、けばけばしい胴、派手な袖。男もので手さえ通せばそこから着て行《ゆ》かれるまでにして、正札が品により、二分から三両|内外《うちそと》まで、膝の周囲《まわり》にばらりと捌《さば》いて、主人《あるじ》はと見れば、上下縞《うえしたしま》に折目あり。独鈷入《とっこいり》の博多《はかた》の帯に銀鎖を捲《ま》いて、きちんと構えた前垂掛《まえだれがけ》。膝で豆算盤《まめそろばん》五寸ぐらいなのを、ぱちぱちと鳴らしながら、結立《ゆいた》ての大円髷《おおまるまげ》、水の垂りそうな、赤い手絡《てがら》の、容色《きりょう》もまんざらでない女房を引附けているのがある。
時節もので、めりやすの襯衣《しゃつ》、めちゃめちゃの大安売、ふらんねる切地《きれじ》の見切物、浜から輸出品の羽二重《はぶたえ》の手巾《ハンケチ》、棄直段《すてねだん》というのもあり、外套《がいとう》、まんと、古洋服、どれも一式の店さえ八九ヶ所。続いて多い、古道具屋は、あり来《きた》りで。近頃古靴を売る事は……長靴は烟突《えんとつ》のごとく、すぽんと突立《つった》ち、半靴は叱られた体《てい》に畏《かしこま》って、ごちゃごちゃと浮世の波に魚《うお》の漾《ただよ》う風情がある。
両側はさて軒を並べた居附《いつき》の商人《あきんど》……大通りの事で、云うまでも無く真中《まんなか》を電車が通る……
夜店は一列片側に並んで出る。……夏の内は、西と東を各晩であるが、秋の中ばからは一月置きになって、大空の星の沈んだ光と、どす赤い灯の影を競いつつ、末は次第に流《ながれ》の淀《よど》むように薄く疎《まばら》にはなるが、やがて町尽《まちはず》れまで断《た》えずに続く……
宵をちと出遅れて、店と店との間へ、脚が極《き》め込みになる卓子《テエブル》や、箱車をそのまま、場所が取れないのに、両方へ、叩頭《おじぎ》をして、
「いかがなものでございましょうか、飛んだお邪魔になりましょうが。」
「何、お前さん、お互様です。」
「では一ツ御不省《ごふしょう》なすって、」
「ええ可《よ》うございますともね。だが何ですよ。成《なり》たけ両方をゆっくり取るようにしておかないと、当節は喧《やかま》しいんだからね。距離をその八尺ずつというお達しでさ、御承知でもございましょうがね。」
「ですからなお恐入りますんで、」
「そこにまたお目こぼしがあろうッてもんですよ、まあ、口明《くちあけ》をなさいまし。」
「難有《ありがと》う存じます。」
などは毎々の事。
二
この次第で、露店の間《あわい》は、どうして八尺が五尺も無い。蒟蒻《こんにゃく》、蒲鉾《かまぼこ》、八ツ頭《がしら》、おでん屋の鍋《なべ》の中、混雑《ごたごた》と込合って、食物店《たべものみせ》は、お馴染《なじみ》のぶっ切飴《きりあめ》、今川焼、江戸前取り立ての魚焼《うおやき》、と名告《なのり》を上げると、目の下八寸の鯛焼《たいやき》と銘を打つ。真似《まね》はせずとも可《い》い事を、鱗焼《うろこやき》は気味が悪い。
引続いては兵隊饅頭《へいたいまんじゅう》、鶏卵入《たまごいり》の滋養麺麭《じようパン》。……かるめら焼のお婆さんは、小さな店に鍋一つ、七つ五つ、孫の数ほど、ちょんぼりと並べて寂《さみ》しい。
茶めし餡掛《あんかけ》、一品料理、一番高い中空の赤行燈《あかあんどう》は、牛鍋の看板で、一山三銭二銭に鬻《ひさ》ぐ。蜜柑《みかん》、林檎《りんご》の水菓子屋が負けじと立てた高張《たかはり》も、人の目に着く手術《てだて》であろう。
古靴屋の手に靴は穿《は》かぬが、外套《がいとう》を売る女の、釦《ぼたん》きらきらと羅紗《らしゃ》の筒袖。小間物店《こまものみせ》の若い娘が、毛糸の手袋|嵌《は》めたのも、寒さを凌《しの》ぐとは見えないで、広告めくのが可憐《いじ》らしい。
気取ったのは、一軒、古道具の主人、山高帽。売っても可《い》いそうな肱掛椅子《ひじかけいす》に反身《そりみ》の頬杖《ほおづえ》。がらくた壇上に張交《はりま》ぜの二枚屏風《にまいびょうぶ》、ずんどの銅《あか》の花瓶に、からびたコスモスを投込んで、新式な家庭を見せると、隣の同じ道具屋の亭主は、炬燵櫓《こたつやぐら》に、ちょんと乗って、胡坐《あぐら》を小さく、風除《かぜよ》けに、葛籠《つづら》を押立《おった》てて、天窓《あたま》から、その尻まですっぽりと安置に及んで、秘仏はどうだ、と達磨《だるま》を極《き》めて、寂寞《じゃくまく》として定《じょう》に入《い》る。
「や、こいつア洒落《しゃれ》てら。」
と往来が讃《ほ》めて行《ゆ》く。
黒い毛氈《もうせん》の上に、明石《あかし》、珊瑚《さんご》、トンボの青玉が、こつこつと寂《さ》びた色で、古い物語を偲《しの》ばすもあれば、青毛布《あおげっと》の上に、指環《ゆびわ》、鎖、襟飾《えりかざり》、燦爛《さんらん》と光を放つ合成金の、新時代を語るもあり。……また合成銀と称《とな》えるのを、大阪で発明して銀煙草《ぎんぎせる》を並べて売る。
「諸君、二円五十銭じゃ言うたんじゃ、可《え》えか、諸君、熊手屋が。露店の売品の値価《ねだん》にしては、いささか高値《こうじき》じゃ思わるるじゃろうが、西洋の話じゃ、で、分るじゃろう。二円五十銭、可えか、諸君。」
と重なり合った人群集《ひとだかり》の中に、足許《あしもと》の溝の縁に、馬乗提灯《うまのりぢょうちん》を動き出しそうに据えたばかり。店も何も無いのが、額を仰向《あおむ》けにして、大口を開《あ》いて喋《しゃべ》る……この学生風な五ツ紋は商人《あきんど》ではなかった。
ここらへ顔出しをせねばならぬ、救世軍とか云える人物。
「そこでじゃ諸君、可《え》えか、その熊手の値を聞いた海軍の水兵君が言わるるには、可《よし》、熊手屋、二円五十銭は分った、しかしながらじゃな、ここに持合わせの銭が五十銭ほか無い。すなわちこの五十銭を置いて行《ゆ》く。直ぐに後金《あときん》の二円を持って来るから受取っておいてくれい。熊手は預けて行《ゆ》くぞ、誰も他《ほか》のものに売らんようになあ、と云われましたが、諸君。
手附《てつけ》を受取って物品を預っておくんじゃからあ、」
と俯向《うつむ》いて、唾を吐いて、
「じゃから諸君、誰にしても異存はあるまい。宜《よろ》しゅうございます。行っていらっしゃいと云うて、その金子《かね》を請取《うけと》ったんじゃ、可《え》えか、諸君。ところでじゃ、約束通りに、あとの二円を持って、直ぐにその熊手を取りに来れば何事もありませんぞ。
そうら、それが遣《や》って来ん、来んのじゃ諸君、一時間|経《た》ち、二時間経ち、十二時が過ぎ、半が過ぎ、どうじゃ諸君、やがて一時頃まで遣って来んぞ。
他《ほか》の露店は皆仕舞うたんじゃ。それで無うてから既に露店の許された時間は経過して、僅《わずか》に巡行の警官が見て見ぬ振《ふり》という特別の慈悲を便りに、ぼんやりと寂しい街路の霧になって行《ゆ》くのを視《なが》めて、鼻の尖《さき》を冷たくして待っておったぞ。
処へ、てくりてくり、」
と両腕を奮《はず》んで振って、ずぼん下の脚を上げたり、下げたり。
「向うから遣《や》って来たものがある、誰じゃろうか諸君、熊手屋の待っておる水兵じゃろうか。その水兵ならばじゃ、何事も別に話は起らんのじゃ、諸君。しかるに世間というものはここが話じゃ、今来たのは一名の立派な紳士じゃ、夜会の帰りかとも思われる、何分《なにぶん》か酔うてのう。」
三
「皆さん、申すまでもありませんが、お家で大切なのは火の用心でありまして、その火の用心と申す中《うち》にも、一番危険なのが洋燈《ランプ》であります。なぜ危い。お話しをするまでもありません、過失《あやま》って取落しまする際に、火の消えませんのが、壺《つぼ》の、この、」
と目通りで、真鍮《しんちゅう》の壺をコツコツと叩く指が、掌《てのひら》掛けて、油煙で真黒《まっくろ》。
頭髪《かみ》を長くして、きちんと分けて、額にふらふらと捌《さば》いた、女難なきにしもあらずなのが、渡世となれば是非も無い。
「石油が待てしばしもなく、※[#「火+發」、422−7]《ぱっ》と燃え移るから起るのであります。御覧なさいまし、大阪の大火、青森の大火、御承知でありましょう、失火の原因は、皆この洋燈《ランプ》の墜落から転動(と妙な対句で)を起しまする。その危険な事は、硝子壺《がらすつぼ》も真鍮壺も決して差別はありません。と申すが、唯今《ただいま》もお話しました通り、火が消えないからであります。そこで、手前商いまするのは、ラジーンと申して、金山鉱山におきまして金を溶かしまする処の、炉壺《ろつぼ》にいたしまするのを使って製造いたしました、口金《くちがね》の保助器は内務省お届済みの専売特許品、御使用の方法は唯今お目に懸けまするが、安全口金、一名火事知らずと申しまして、」
「何だ、何だ。」
と立合いの肩へ遠慮なく、唇の厚い、真赤《まっか》な顔を、ぬい、と出して、はたと睨《にら》んで、酔眼をとろりと据える。
「うむ、火事知らずか、何を、」と喧嘩腰《けんかごし》に力を入れて、もう一息押出しながら、
「焼けたら水を打懸《ぶっか》けろい、げい。」
と※[#「口+愛」、第3水準1−15−23]《
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