おくび》をするかと思うと、印半纏《しるしばんてん》の肩を聳《そび》やかして、のッと行《ゆ》く。新姐子《しんぞっこ》がばらばらと避《よ》けて通す。
 と嶮《けん》な目をちょっと見据えて、
「ああいう親方が火元になります。」と苦笑《にがわらい》。
 昔から大道店《だいどうみせ》に、酔払いは附いたもので、お職人親方|手合《てあい》の、そうしたのは有触《ありふ》れたが、長外套《なががいとう》に茶の中折《なかおれ》、髭《ひげ》の生えた立派なのが居る。
 辻に黒山を築いた、が北風《ならい》の通す、寒い背後《うしろ》から藪《やぶ》を押分けるように、杖《ステッキ》で背伸びをして、
「踊っとるは誰《だい》じゃ、何しとるかい。」
「へい、面白ずくに踊ってる[#「踊ってる」は底本では「踊つてる」]じゃござりません。唯今、鼻紙で切りました骸骨《がいこつ》を踊らせておりますんで、へい、」
「何じゃ、骸骨が、踊《おどり》を踊る。」
 どたどたと立合《たちあい》の背《うしろ》に凭懸《よりかか》って、
「手品か、うむ、手品を売りよるじゃな。」
「へい、八通《やとお》りばかり認《したた》めてござりやす、へい。」
「うむ、八通り、この通《とおり》か、はッはッ、」と変哲もなく、洒落《しゃれ》のめして、
「どうじゃ五厘も投げてやるか。」
「ええ、投銭、お手の内は頂きやせん、材《たね》あかしの本を売るのでげす、お求め下さいやし。」
「ふむ……投銭は謝絶する、見識じゃな、本は幾干《いくら》だ。」
「五銭、」
「何、」
「へい、お立合にも申しておりやす。へい、ええ、ことの外音声を痛めておりやすんで、お聞苦しゅう、……へい、お極《きま》りは五銅の処、御愛嬌《ごあいきょう》に割引をいたしやす、三銭でございやす。」
「高い!」
 と喝《しか》って、
「手品屋、負けろ。」
「毛頭、お掛値《かけね》はございやせん。宜《よろ》しくばお求め下さいやし、三銭でごぜいやす。」
「一銭にせい、一銭じゃ。」
「あッあ、推量々々。」と対手《あいて》にならず、人の環《わ》の底に掠《かす》れた声、地《つち》の下にて踊るよう。
「お次は相場の当る法、弁ずるまでもありませんよ。……我人《われひと》ともに年中|螻《おけら》では不可《いけ》ません、一攫千金《いっかくせんきん》、お茶の子の朝飯前という……次は、」
 と細字《さいじ》に認《したた》めた行燈《あんどん》をくるりと廻す。綱が禁札、ト捧げた体《てい》で、芳原被《よしわらかぶ》りの若いもの。別に絣《かすり》の羽織を着たのが、板本を抱えて彳《たたず》む。
「諸人に好かれる法、嫌われぬ法も一所ですな、愛嬌のお守《まもり》という条目。無銭で米の買える法、火なくして暖まる法、飲まずに酔う法、歩行《ある》かずに道中する法、天に昇る法、色を白くする法、婦《おんな》の惚《ほ》れる法。」

       四

「お痛《いて》え、痛え、」
 尾を撮《つま》んで、にょろりと引立《ひった》てると、青黒い背筋が畝《うね》って、びくりと鎌首を擡《もた》げる発奮《はずみ》に、手術服という白いのを被《はお》ったのが、手を振って、飛上る。
「ええ驚いた、蛇が啖《くら》い着くです――だが、諸君、こんなことでは無い。……この木製の蛇が、僕の手練に依って、不可思議なる種々の運動を起すです。急がない人は立って見て行《ゆ》きたまえよ、奇々妙々感心というのだから。
 だが、諸君、だがね、僕は手品師では無いのだよ。蛇使いではないのですが、こんな処じゃ、誰も衛生という事を心得ん。生命《いのち》が大切という事を弁別《わきま》えておらん人ばかりだから、そこで木製の蛇の運動を起すのを見て行《ゆ》きたまえと云うんだ。歯の事なんか言って聞かしても、どの道分りはせんのだから、無駄だからね、無駄な話だから決して売ろうとは云わんです。売らんのだから買わんでも宜しい。見て行《ゆ》きたまえ。見物をしてお出でなさい。今、運動を起す、一分間にして暴れ出す。
 だが諸君、だがね諸君、歯磨《はみがき》にも種々《いろいろ》ある。花王歯磨、ライオン象印、クラブ梅香散……ざっと算《かぞ》えた処で五十種以上に及ぶです。だが、諸君、言ったって無駄だ、どうせ買いはしまい、僕も売る気は無い、こんな処じゃ分るものは無いのだから、売りやせん、売りやせんから木製の蛇の活動を見て行《ゆ》きたまえ。」
 と青い帽子をずぼらに被《かぶ》って、目をぎろぎろと光らせながら、憎体《にくてい》な口振《くちぶり》で、歯磨を売る。
 二三軒隣では、人品骨柄《じんぴんこつがら》、天晴《あっぱれ》、黒縮緬《くろちりめん》の羽織でも着せたいのが、悲愴《ひそう》なる声を揚げて、殆《ほとん》ど歎願に及ぶ。
「どうぞ、お試し下さい、ねえ、是非一回御試験が仰ぎたい。口中に熱あり、歯の浮く御仁、歯齦《はぐき》の弛《ゆる》んだお人、お立合の中に、もしや万一です。口の臭い、舌の粘々《ねばねば》するお方がありましたら、ここに出しておきます、この芳口剤で一度|漱《うがい》をして下さい。」
 と一口がぶりと遣《や》って、悵然《ちょうぜん》として仰反《のけぞ》るばかりに星を仰ぎ、頭髪《かみ》を、ふらりと掉《ふ》って、ぶらぶらと地《つち》へ吐き、立直ると胸を張って、これも白衣《びゃくえ》の上衣兜《うわかくし》から、綺麗《きれい》な手巾《ハンケチ》を出して、口のまわりを拭いて、ト恍惚《うっとり》とする。
「爽《さわや》かに清《すずし》き事、」
 と黄色い更紗《さらさ》の卓子掛《テエブルかけ》を、しなやかな指で弾《はじ》いて、
「何とも譬《たと》えようがありません。ただ一分間、一口含みまして、二三度、口中を漱《そそ》ぎますと、歯磨|楊枝《ようじ》を持ちまして、ものの三十分使いまするより、遥《はる》かに快くなるのであります。口中には限りません。精神の清く爽かになりますに従うて、頭痛などもたちどころに治ります。どうぞ、お試し下さい、口は禍《わざわい》の門《かど》、諸病は口からと申すではありませんか、歯は大事にして下さい、口は綺麗にして下さいまし、ねえ、私が願います、どうぞ諸君《みなさん》。」
「この砥石《といし》が一|挺《ちよう》ありましたらあ、今までのよに、盥《たらい》じゃあ、湯水じゃあとウ、騒ぐにはア及びませぬウ。お座敷のウ真中《まんなか》でもウ、お机、卓子台《ちゃぶだい》の上エでなりとウ、ただ、こいに遣って、すぅいすぅいと擦《こす》りますウばかりイイイ。菜切庖丁《なっきりぼうちょう》、刺身庖丁《さしみぼうちょう》ウ、向ウへ向ウへとウ、十一二度、十二三度、裏を返しまして、黒い色のウ細い砥ウ持《もち》イましてエ、柔《やわら》こう、すいと一二度ウ、二三度ウ、撫《なで》るウ撫るウばかりイ、このウ菜切庖丁が、面白いようにイ切《きれ》まあすウる、切れまあすウる。こいに、こいに、さッくりさッくり横紙が切れますようなら、当分のウ内イ、誰方様《どなたさま》のウお邸《やしき》でもウ、切《きれ》ものに御不自由はございませぬウ。このウ細《こまか》い方一挺がア、定価は五銭のウ処ウ、特別のウ割引イでエ、粗《あら》のと二ツ一所に、名倉《なぐら》の欠《かけ》を添えまして、三銭、三銭でエ差上げますウ、剪刀《はさみ》、剃刀磨《かみそりとぎ》にイ、一度ウ磨がせましても、二銭とウ三銭とは右から左イ……」
 と賽《さい》の目に切った紙片《かみきれ》を、膝にも敷物にもぱらぱらと夜風に散らして、縞《しま》の筒袖|凜々《りり》しいのを衝《つ》と張って、菜切庖丁に金剛砂《こんごうしゃ》の花骨牌《はながるた》ほどな砥を当てながら、余り仰向いては人を見ぬ、包ましやかな毛糸の襟巻、頬の細いも人柄で、大道店の息子株。
 押並んで、めくら縞の襟の剥《は》げた、袖に横撫《よこなで》のあとの光る、同じ紺のだふだふとした前垂《まえだれ》を首から下げて、千草色の半股引《はんももひき》、膝のよじれたのを捻《ねじ》って穿《は》いて、ずんぐりむっくりと肥《ふと》ったのが、日和下駄で突立《つった》って、いけずな忰《せがれ》が、三徳用大根|皮剥《かわはぎ》、というのを喚《わめ》く。

       五

 その鯉口《こいぐち》の両肱《りょうひじ》を突張《つっぱ》り、手尖《てさき》を八ツ口へ突込《つっこ》んで、頸《うなじ》を襟へ、もぞもぞと擦附けながら、
「小母《おば》さん、買ってくんねえ、小父的《おじき》買いねえな。千六本に、おなますに、皮剥《かわはぎ》と一所に出来らあ。内が製造元だから安いんだぜ。大小《でいしょう》あらあ。大《でい》が五銭で小が三銭だ。皮剥一ツ買ったってお前《めえ》、三銭はするぜ、買っとくんねえ、あ、あ、あ、」
 と引捻《ひんねじ》れた四角な口を、額まで闊《かつ》と開けて、猪首《いくび》を附元《つけもと》まで窘《すく》める、と見ると、仰状《のけざま》に大欠伸《おおあくび》。余り度外《どはず》れなのに、自分から吃驚《びっくり》して、
「はっ、」と、突掛《つっかか》る八ツ口の手を引張出して、握拳《にぎりこぶし》で口の端《はた》をポン、と蓋《ふた》をする、トほっと真白《まっしろ》な息を大きく吹出す……
 いや、順に並んだ、立ったり居たり、凸凹としたどの店も、同じように息が白い。むらむらと沈んだ、燻《くすぶ》った、その癖、師走空に澄透《すみとお》って、蒼白《あおじろ》い陰気な灯《あかり》の前を、ちらりちらりと冷たい魂が※[#「彳+淌のつくり」、第3水準1−84−33]※[#「彳+羊」、第3水準1−84−32]《さまよ》う姿で、耄碌頭布《もうろくずきん》の皺《しわ》から、押立《おった》てた古服の襟許《えりもと》から、汚れた襟巻の襞※[#「ころもへん+責」、第3水準1−91−87]《ひだ》の中から、朦朧《もうろう》と顕《あらわ》れて、揺れる火影《ほかげ》に入乱れる処を、ブンブンと唸《うな》って来て、大路《おおじ》の電車が風を立てつつ、颯《さっ》と引攫《ひっさら》って、チリチリと紫に光って消える。
 とどの顔も白茶《しらちゃ》けた、影の薄い、衣服前垂《きものまえだれ》の汚目《よごれめ》ばかり火影に目立って、煤《すす》びた羅漢の、トボンとした、寂しい、濁った形が溝端《みぞばた》にばらばらと残る。
 こんな時は、時々ばったりと往来が途絶えて、その時々、対合《むかいあ》った居附《いつき》の店の電燈|瓦斯《がす》の晃々《こうこう》とした中に、小僧の形《かげ》や、帳場の主人、火鉢の前の女房《かみさん》などが、絵草子の裏、硝子《がらす》の中、中でも鮮麗《あざやか》なのは、軒に飾った紅入友染《べにいりゆうぜん》の影に、くっきりと顕《あらわ》れる。
 露店は茫《ぼう》として霧に沈む。
 たちまち、ふらふらと黒い影が往来へ湧《わ》いて出る。その姿が、毛氈《もうせん》の赤い色、毛布《けっと》の青い色、風呂敷の黄色いの、寂《さみ》しい媼《ばあ》さんの鼠色まで、フト判然《はっきり》と凄《すご》い星の下に、漆のような夜の中に、淡い彩《いろどり》して顕れると、商人連《あきゅうどれん》はワヤワヤと動き出して、牛鍋《ぎゅうなべ》の唐紅《とうべに》も、飜然《ひらり》と揺《ゆら》ぎ、おでん屋の屋台もかッと気競《きおい》が出て、白気《はくき》濃《こま》やかに狼煙《のろし》を揚げる。翼の鈍《のろ》い、大きな蝙蝠《こうもり》のように地摺《じずり》に飛んで所を定めぬ、煎豆屋《いりまめや》の荷に、糸のような火花が走って、
「豆や、煎豆、煎立豆や、柔い豆や。」
 と高らかに冴《さ》えて、思いもつかぬ遠くの辻のあたりに聞える。
 また一時《ひとしきり》、がやがやと口上があちこちにはじまるのである。
 が、次第に引潮が早くなって、――やっと柵《しがらみ》にかかった海草のように、土方の手に引摺《ひきず》られた古股引《ふるももひき》を、はずすまじとて、媼《ばあ》さんが曲った腰をむずむずと動かして、溝の上へ膝を摺出《ずりだ》す、その効《かい》なく……博多の帯を引掴《ひッつか》みながら、素見《ひやかし》を追懸
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