、煙草《たばこ》の脂留《やにどめ》、新発明|螺旋仕懸《らせんじかけ》ニッケル製の、巻莨《まきたばこ》の吸口を売る、気軽な人物。
 自から称して技師と云う。
 で、衆を立たせて、使用法を弁ずる時は、こんな軽々しい態度のものではない。
 下目づかいに、晃々《きらきら》と眼鏡を光らせ、額で睨《にら》んで、帽子を目深《まぶか》に、さも歴々が忍びの体《てい》。冷々然として落着き澄まして、咳《しわぶき》さえ高うはせず、そのニコチンの害を説いて、一吸《ひとすい》の巻莨から生ずる多量の沈澱物をもって混濁した、恐るべき液体をアセチリンの蒼光《あおびかり》に翳《かざ》して、屹《き》と試験管を示す時のごときは、何某《なにがし》の教授が理化学の講座へ立揚《たちあが》ったごとく、風采《ふうさい》四辺《あたり》を払う。
 そこで、公衆は、ただ僅《わずか》に硝子《がらす》の管へ煙草を吹込んで、びくびくと遣《や》ると水が濁るばかりだけれども、技師の態度と、その口上のぱきぱきとするのに、ニコチンの毒の恐るべきを知って、戦慄《せんりつ》に及んで、五割引が盛《さかん》に売れる。
 なかなかどうして、歯科散《しかさん》が試験薬を用いて、立合《たちあい》の口中黄色い歯から拭取《ふきと》った口塩《くちしお》から、たちどころに、黴菌《ばいきん》を躍らして見せるどころの比ではない。
 よく売れるから、益々《ますます》得意で、澄まし返って説明する。
 が、夜がやや深く、人影の薄くなったこうした時が、技師大得意の節で。今まで嚔《くしゃみ》を堪《こら》えたように、むずむずと身震いを一つすると、固くなっていた卓子《テエブル》の前から、早くもがらりと体《たい》を砕いて、飛上るように衝《つ》と腰を軽く、突然《いきなり》ひょいと隣のおでん屋へ入って、煮込を一串《ひとくし》引攫《ひっさら》う。
 こいつを、フッフッと吹きながら、すぺりと古道具屋の天窓《あたま》を撫《な》でるかと思うと、次へ飛んで、あの涅槃《ねはん》に入ったような、風除葛籠《かざよけつづら》をぐらぐら揺《ゆす》ぶる。

       八

 その時きゃっきゃっと高笑《たかわらい》、靴をぱかぱかと傍《わき》へ外《そ》れて、どの店と見当を着けるでも無く、脊を屈《かが》めて蹲《うずくま》った婆さんの背後《うしろ》へちょいと踞《しゃが》んで、
「寒いですね。」
 と声を掛けて、トントンと肩を叩いてやったもので。
「きゃっきゃっ、」とまた笑うて、横歩行《よこある》きにすらすらすら、で、居合わす、古女房の背《せな》をドンと啖《くら》わす。突然《いきなり》、年増《としま》の行火《あんか》の中へ、諸膝《もろひざ》を突込《つっこ》んで、けろりとして、娑婆《しゃば》を見物、という澄ました顔付で、当っている。
 露店中の愛嬌《あいきょう》もので、総籬《そうまがき》の柳縹《りゅうひょう》さん。
 すなわちまた、その伝で、大福|暖《あったか》いと、向う見ずに遣った処、手遊屋《おもちゃや》の婦《おんな》は、腰のまわりに火の気が無いので、膝が露出《むきだ》しに大道へ、茣蓙《ござ》の薄霜に間拍子《まびょうし》も無く並んだのである。
 橙色《だいだいいろ》の柳縹子、気の抜けた肩を窄《すぼ》めて、ト一つ、大きな達磨《だるま》を眼鏡でぎらり。
 婦《おんな》は澄ましてフッと吹く……カタリ……
 はッと頤《おとがい》を引く間も無く、カタカタカタと残らず落ちると、直ぐに、そのへりの赤い筒袖の細い雪で、一《ひと》ツ一《びと》ツ拾って並べる。
「堪《たま》らんですね、寒いですな、」
 と髯《ひげ》を捻《ひね》った。が、大きに照れた風が見える。
 斜違《はすッかい》にこれを視《なが》めて、前歯の金をニヤニヤと笑ったのは、総髪《そうがみ》の大きな頭に、黒の中山高《ちゅうやまたか》を堅く嵌《は》めた、色の赤い、額に畝々《うねうね》と筋のある、頬骨の高い、大顔の役人風。迫った太い眉に、大《でっか》い眼鏡で、胡麻塩髯《ごましおひげ》を貯えた、頤《おとがい》の尖《とが》った、背のずんぐりと高いのが、絣《かすり》の綿入羽織を長く着て、霜降のめりやすを太く着込んだ巌丈《がんじょう》な腕を、客商売とて袖口へ引込《ひっこ》めた、その手に一条の竹の鞭《むち》を取って、バタバタと叩いて、三州は岡崎、備後《びんご》は尾ノ道、肥後《ひご》は熊本の刻煙草《きざみたばこ》を指示《さししめ》す……
「内務省は煙草専売局、印紙|御貼用済《ごちょうようずみ》。味は至極|可《え》えで、喫《の》んで見た上で買いなさい。大阪は安井銀行、第三蔵庫の担保品。今度《このたび》、同銀行蔵掃除について払下げに相成ったを、当商会において一手販売をする、抵当流れの安価な煙草じゃ、喫んで芳《かんばし》ゅう、香味《こうみ》、口中に
前へ 次へ
全12ページ中8ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
泉 鏡花 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング