《や》せた頤《おとがい》を乗せて、平たく蹲《うずくま》った病人らしい陰気な男が、釣込まれたやら、
「ふふふ、」
 と寂《さみ》しく笑う。
 続いたのが、例の高張《たかはり》を揚げた威勢の可《い》い、水菓子屋、向顱巻《むこうはちまち》の結び目を、山から飛んで来た、と押立《おった》てたのが、仰向けに反《そり》を打って、呵々《からから》と笑出す。次へ、それから、引続いて――一品料理の天幕張《テントばり》の中などは、居合わせた、客交じりに、わはわはと笑《わらい》を揺《ゆす》る。年内の御重宝《ごちょうほう》九星売が、恵方《えほう》の方へ突伏《つっぷ》して、けたけたと堪《たま》らなそうに噴飯《ふきだ》したれば、苦虫と呼ばれた歯磨屋《はみがきや》が、うンふンと鼻で笑う。声が一所で、同音に、もぐらもちが昇天しようと、水道の鉄管を躍り抜けそうな響きで、片側|一条《ひとすじ》、夜が鳴って、哄《どっ》と云う。時ならぬに、木《こ》の葉が散って、霧の海に不知火《しらぬい》と見える灯《ともしび》の間を白く飛ぶ。
 なごりに煎豆屋《いりまめや》が、かッと笑う、と遠くで凄《すさ》まじく犬が吠《ほ》えた。
 軒の辺《あたり》を通魔《とおりま》がしたのであろう。
 北へも響いて、町尽《まちはずれ》の方へワッと抜けた。
 時に片頬笑《かたほえ》みさえ、口許《くちもと》に莞爾《にっこり》ともしない艶《えん》なのが、露店を守って一人居た。
 縦通《たてどおり》から横通りへ、電車の交叉点《こうさてん》を、その町尽れの方へ下《さが》ると、人も店も、灯《ひ》の影も薄く歯の抜けたような、間々を冷い風が渡る癖に、店を一ツ一ツ一重《ひとえ》ながら、茫《ぼう》と渦を巻いたような霧で包む。同じ燻《くす》ぶった洋燈《ランプ》も、人の目鼻立ち、眉も、青、赤、鼠色の地《じ》の敷物ながら、さながら鶏卵《たまご》の裡《うち》のように、渾沌《こんとん》として、ふうわり街燈の薄い影に映る。が、枯れた柳の細い枝は、幹に行燈《あんどう》を点《つ》けられたより、かえってこの中に、処々すっきりと、星に蒼《あお》く、風に白い。
 その根に、茣蓙《ござ》を一枚の店に坐ったのが、件《くだん》の婦《おんな》で。
 年紀《とし》は六七……三十にまず近い。姿も顔も窶《やつ》れたから、ちと老けて見えるのであろうも知れぬ。綿らしいが、銘仙縞《めいせんじま》の羽
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