てた古服の襟許《えりもと》から、汚れた襟巻の襞※[#「ころもへん+責」、第3水準1−91−87]《ひだ》の中から、朦朧《もうろう》と顕《あらわ》れて、揺れる火影《ほかげ》に入乱れる処を、ブンブンと唸《うな》って来て、大路《おおじ》の電車が風を立てつつ、颯《さっ》と引攫《ひっさら》って、チリチリと紫に光って消える。
とどの顔も白茶《しらちゃ》けた、影の薄い、衣服前垂《きものまえだれ》の汚目《よごれめ》ばかり火影に目立って、煤《すす》びた羅漢の、トボンとした、寂しい、濁った形が溝端《みぞばた》にばらばらと残る。
こんな時は、時々ばったりと往来が途絶えて、その時々、対合《むかいあ》った居附《いつき》の店の電燈|瓦斯《がす》の晃々《こうこう》とした中に、小僧の形《かげ》や、帳場の主人、火鉢の前の女房《かみさん》などが、絵草子の裏、硝子《がらす》の中、中でも鮮麗《あざやか》なのは、軒に飾った紅入友染《べにいりゆうぜん》の影に、くっきりと顕《あらわ》れる。
露店は茫《ぼう》として霧に沈む。
たちまち、ふらふらと黒い影が往来へ湧《わ》いて出る。その姿が、毛氈《もうせん》の赤い色、毛布《けっと》の青い色、風呂敷の黄色いの、寂《さみ》しい媼《ばあ》さんの鼠色まで、フト判然《はっきり》と凄《すご》い星の下に、漆のような夜の中に、淡い彩《いろどり》して顕れると、商人連《あきゅうどれん》はワヤワヤと動き出して、牛鍋《ぎゅうなべ》の唐紅《とうべに》も、飜然《ひらり》と揺《ゆら》ぎ、おでん屋の屋台もかッと気競《きおい》が出て、白気《はくき》濃《こま》やかに狼煙《のろし》を揚げる。翼の鈍《のろ》い、大きな蝙蝠《こうもり》のように地摺《じずり》に飛んで所を定めぬ、煎豆屋《いりまめや》の荷に、糸のような火花が走って、
「豆や、煎豆、煎立豆や、柔い豆や。」
と高らかに冴《さ》えて、思いもつかぬ遠くの辻のあたりに聞える。
また一時《ひとしきり》、がやがやと口上があちこちにはじまるのである。
が、次第に引潮が早くなって、――やっと柵《しがらみ》にかかった海草のように、土方の手に引摺《ひきず》られた古股引《ふるももひき》を、はずすまじとて、媼《ばあ》さんが曲った腰をむずむずと動かして、溝の上へ膝を摺出《ずりだ》す、その効《かい》なく……博多の帯を引掴《ひッつか》みながら、素見《ひやかし》を追懸
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