、歯の浮く御仁、歯齦《はぐき》の弛《ゆる》んだお人、お立合の中に、もしや万一です。口の臭い、舌の粘々《ねばねば》するお方がありましたら、ここに出しておきます、この芳口剤で一度|漱《うがい》をして下さい。」
と一口がぶりと遣《や》って、悵然《ちょうぜん》として仰反《のけぞ》るばかりに星を仰ぎ、頭髪《かみ》を、ふらりと掉《ふ》って、ぶらぶらと地《つち》へ吐き、立直ると胸を張って、これも白衣《びゃくえ》の上衣兜《うわかくし》から、綺麗《きれい》な手巾《ハンケチ》を出して、口のまわりを拭いて、ト恍惚《うっとり》とする。
「爽《さわや》かに清《すずし》き事、」
と黄色い更紗《さらさ》の卓子掛《テエブルかけ》を、しなやかな指で弾《はじ》いて、
「何とも譬《たと》えようがありません。ただ一分間、一口含みまして、二三度、口中を漱《そそ》ぎますと、歯磨|楊枝《ようじ》を持ちまして、ものの三十分使いまするより、遥《はる》かに快くなるのであります。口中には限りません。精神の清く爽かになりますに従うて、頭痛などもたちどころに治ります。どうぞ、お試し下さい、口は禍《わざわい》の門《かど》、諸病は口からと申すではありませんか、歯は大事にして下さい、口は綺麗にして下さいまし、ねえ、私が願います、どうぞ諸君《みなさん》。」
「この砥石《といし》が一|挺《ちよう》ありましたらあ、今までのよに、盥《たらい》じゃあ、湯水じゃあとウ、騒ぐにはア及びませぬウ。お座敷のウ真中《まんなか》でもウ、お机、卓子台《ちゃぶだい》の上エでなりとウ、ただ、こいに遣って、すぅいすぅいと擦《こす》りますウばかりイイイ。菜切庖丁《なっきりぼうちょう》、刺身庖丁《さしみぼうちょう》ウ、向ウへ向ウへとウ、十一二度、十二三度、裏を返しまして、黒い色のウ細い砥ウ持《もち》イましてエ、柔《やわら》こう、すいと一二度ウ、二三度ウ、撫《なで》るウ撫るウばかりイ、このウ菜切庖丁が、面白いようにイ切《きれ》まあすウる、切れまあすウる。こいに、こいに、さッくりさッくり横紙が切れますようなら、当分のウ内イ、誰方様《どなたさま》のウお邸《やしき》でもウ、切《きれ》ものに御不自由はございませぬウ。このウ細《こまか》い方一挺がア、定価は五銭のウ処ウ、特別のウ割引イでエ、粗《あら》のと二ツ一所に、名倉《なぐら》の欠《かけ》を添えまして、三銭、三銭でエ差
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