ますとも。それがでございますよ。はい、こうして鉦太鼓で探捜《さがし》に出ます騒動ではございますが、捜されます御当人の家《うち》へ、声が聞えますような近い所で、名を呼びましては、表向《おもてむき》の事でも極《きまり》が悪うございましょう。それも小児《こども》や爺婆《じじばば》ならまだしも、取って十九という妙齢《としごろ》の娘の事でございますから。」
と考え考え、切れ切れに台辞を運ぶ。
その内も手を休めず、ばっばっと赤い団扇、火が散るばかり、これは鮮明《あざやか》。
七
青月代は辿々《たどたど》しく、
「で、ございますから、遠慮をしまして、名は呼びません、でございましたが、おっしゃる通り、ただ迷児迷児と喚《わめ》きました処で分るものではございません。もう大分町も離れました、徐々《そろそろ》娘の名を呼びましょう。」
「成程々々、御心附至極の儀。そんなら、ここから一つ名を呼んで捜す事にいたしましょう。頭《かしら》、音頭を願おうかね。」
「迷児の音頭は遣《や》りつけねえが、ままよ。……差配《おおや》さん、合方だ。」
チャーンと鉦《かね》の音《ね》。
「お稲《いな》さんやあ、――トこの調子かね。」
「結構でございますね、差配さん。」
差配はも一つ真顔でチャーン。
「さて、呼声に名が入《い》りますと、どうやら遠い処で、幽《かすか》に、はあい……」と可哀《あわれ》な声。
「変な声だあ。」
と頭《かしら》は棒を揺《ゆす》って震える真似する。
「この方、総入歯で、若い娘の仮声《こわいろ》だちね。いえさ、したが何となく返事をしそうで、大《おおき》に張合が着きましたよ。」
「その気で一つ伸《の》しましょうよ。」
三人この処で、声を揃えた。チャーン――
「――迷児の、迷児の、お稲さんやあ……」
と一列《ひとなら》び、筵《むしろ》の上を六尺ばかり、ぐるりと廻る。手足も小さく仇《あど》ない顔して、目立った仮髪《かつら》の髷《まげ》ばかり。麦藁細工《むぎわらざいく》が化けたようで、黄色の声で長《ま》せた事、ものを云う笛を吹くか、と希有《けぶ》に聞える。
美しい女《ひと》は、すっと薄色の洋傘《パラソル》を閉めた……ヴェールを脱いだように濃い浅黄の影が消える、と露の垂りそうな清《すずし》い目で、同伴《つれ》の男に、ト瞳を注ぎながら舞台を見返す……その様子が、しばらく立停《たちどま》ろうと云うらしかった。
「鍋焼饂飩《なべやきうどん》…」
と高らかに、舞台で目を眠るまで仰向《あおむ》いて呼んだ。
「……ああ、腹が空いた、饂飩屋。」
「へいへい、頭《かしら》、難有《ありがと》うござります。」
うんざり鬢《びん》は額を叩いて、
「おっと、礼はまだ早かろう。これから相談だ。ねえ、太吉さん、差配さん、ちょっぴり暖まって、行こうじゃねえかね。」
「賛成。」
と見物の頬被りは、反《そり》を打って大《おおい》に笑う。
仕種《しぐさ》を待構えていた、饂飩屋小僧は、これから、割前《わりまえ》の相談でもありそうな処を、もどかしがって、
「へい、お待遠様で。」と急いで、渋団扇で三人へ皆配る。
「早いんだい、まだだよ。」
と差配になったのが地声で甲走《かんばし》った。が、それでも、ぞろぞろぞろぞろと口で言い言い三人、指二本で掻込《かっこ》む仕形《しかた》。
「頭《かしら》、……御町内様も御苦労様でございます。お捜しなさいますのは、お子供衆で?」
「小児なものかね、妙齢《としごろ》でございますよ。」
と青月代が、襟を扱《しご》いて、ちょっと色身で応答《あしら》う。
「へい、お妙齢、殿方でござりますか、それともお娘御で。」
「妙齢の野郎と云う奴があるもんか、初厄の別嬪《べっぴん》さ。」と頭《かしら》は口で、ぞろりぞろり。
「ああ、さて、走り人《びと》でござりますの。」
「はしり人というのじゃないね、同じようでも、いずれ行方は知れんのだが。」
と差配は、チンと洟《はな》をかむ。
美しい女《ひと》の唇に微笑《ほほえみ》が見えた……
「いつの事、どこから、そのお姿が見えなくなりました。」
と饂飩屋は、渋団扇を筵《むしろ》に支《つ》いて、ト中腰になって訊《き》く。
八
差配《おおや》は溜息《ためいき》と共に気取って頷《うなず》き、
「いつ、どこでと云ってね、お前《めえ》、縁日の宵の口や、顔見世の夜明から、見えなくなったというのじゃない。その娘はね、長い間煩らって、寝ていたんだ。それから行方《ゆくえ》が知れなくなったよ。」
子供芝居の取留めのない台辞《せりふ》でも、ちっと変な事を言う。
「へい。」
舞台の饂飩屋も異な顔で、
「それでは御病気を苦になさって、死ぬ気で駈出《かけだ》したのでござりますかね。」
「寿命だよ。ふん、」と、も一つかんで、差配は鼻紙を袂《たもと》へ落す。
「御寿命、へい、何にいたせ、それは御心配な事で。お怪我《けが》がなければ可《よ》うございます。」
「賽《さい》の河原は礫原《こいしはら》、石があるから躓《つまず》いて怪我をする事もあろうかね。」と陰気に差配。
「何を言わっしゃります。」
「いえさ、饂飩屋さん、合点の悪い。その娘はもう亡くなったんでございますよ。」と青月代が傍《そば》から言った。
「お前様も。死んだ迷児《まいご》という事が、世の中にござりますかい。」
「六道の闇《やみ》に迷えば、はて、迷児ではあるまいか。」
「や、そんなら、お前様方は、亡者《もうじゃ》をお捜しなさりますのか。」
「そのための、この白張提灯《しらはりぢょうちん》。」
と青月代が、白粉《おしろい》の白《しろ》けた顔を前へ、トぶらりと提げる。
「捜いて、捜いて、暗《やみ》から闇へ行く路じゃ。」
「ても……気味の悪い事を言いなさる。」
「饂飩屋、どうだ一所に来るか。」
と頭《かしら》は鬼のごとく棒を突出す。
饂飩屋は、あッと尻餅。
引被《ひっかぶ》せて、青月代が、
「ともに冥途《めいど》へ連行《つれゆ》かん。」
「来《きた》れや、来れ。」と差配《おおや》は異変な声繕《こわづくろい》。
一堪《ひとたま》りもなく、饂飩屋はのめり伏した。渋団扇で、頭を叩くと、ちょん髷仮髪《まげかつら》が、がさがさと鳴る。
「占めたぞ。」
「喰遁《くいに》げ。」
と囁《ささ》き合うと、三人の児《こ》は、ひょいと躍って、蛙のようにポンポン飛込む、と幕の蔭に声ばかり。
――迷児の、迷児の、お稲さんやあ――
描ける藤は、どんよりと重く匂って、おなじ色に、閃々《きらきら》と金糸のきらめく、美しい女《ひと》の半襟と、陽炎に影を通わす、居周囲《いまわり》は時に寂寞《ひっそり》した、楽屋の人数《にんず》を、狭い処に包んだせいか、張紙幕《びらまく》が中ほどから、見物に向いて、風を孕《はら》んだか、と膨れて見える……この影が覆蔽《かぶさ》るであろう、破筵《やれむしろ》は鼠色に濃くなって、蹲《しゃが》み込んだ児等《こども》の胸へ持上って、蟻《あり》が四五疋、うようよと這《は》った。……が、なぜか、物の本の古びた表面《おもて》へ、――来れや、来れ……と仮名でかきちらす形がある。
見つつ松崎が思うまで、来れや、来れ……と言った差配《おおや》の言葉は、怪しいまで陰に響いて、幕の膨らんだにつけても、誰か、大人が居て、蔭で声を助《す》けたらしく聞えたのであった。
見物の児等は、神妙に黙って控えた。
頬被《ほおかぶり》のずんぐり者は、腕を組んで立ったなり、こくりこくりと居眠る……
饂飩屋が、ぼやんとした顔を上げた。さては、差置いた荷のかわりの行燈《あんどん》も、草紙の絵ではない。
蟻は隠れたのである。
九
「狐か、狸か、今のは何じゃい、どえらい目に逢わせくさった。」
と饂飩屋は坂塀はずれに、空屋の大屋根から空を仰いで、茫然《ぼんやり》する。
美しい女《ひと》と若い紳士の、並んで立った姿が動いて、両方|木賃宿《きちんやど》の羽目板の方を見向いたのを、――無台が寂しくなったため、もう帰るのであろうと見れば、さにあらず。
そこへ小さな縁台を据えて、二人の中に、ちょんぼりとした円髷《まるまげ》を俯向《うつむ》けに、揉手《もみて》でお叩頭《じぎ》をする古女房が一人居た。
「さあ、どうぞ、旦那様、奥様、これへお掛け遊ばして、いえ、もう汚いのでございますが、お立ちなすっていらっしゃいますより、ちっとは増《まし》でございます。」
と手拭《てぬぐい》で、ごしごし拭いを掛けつつ云う。その手で――一所に持って出たらしい、踏台が一つに乗せてあるのを下へおろした。
「いや、俺《おれ》たちは、」
若い紳士は、手首白いのを挙げて、払い退《の》けそうにした。が、美しい女《ひと》が、意を得たという晴やかな顔して、黙ってそのまま腰を掛けたので。
「難有《ありがと》う。」
渠《かれ》も斉《ひと》しく並んだのである。
「はい、失礼を。はいはい、はい、どうも。」と古女房は、まくし掛けて、早口に饒舌《しゃべ》りながら、踏台を提げて、小児《こども》たちの背後《うしろ》を、ちょこちょこ走り。で、松崎の背後《うしろ》へ廻る。
「貴方《あなた》様は、どうぞこれへ。はい、はい、はい。」
「恐縮ですな。」
かねて期《ご》したるもののごとく猶予《ため》らわず腰を落着けた、……松崎は、美しい女《ひと》とその連《つれ》とが、去る去らないにかかわらず、――舞台の三人が鉦《かね》をチャーンで、迷児の名を呼んだ時から、子供芝居は、とにかくこの一幕を見果てないうちは、足を返すまいと思っていた。
声々に、可哀《あわれ》に、寂しく、遠方《おちかた》を幽《かすか》に、――そして幽冥《ゆうめい》の界《さかい》を暗《やみ》から闇へ捜廻《さがしまわ》ると言った、厄年十九の娘の名は、お稲と云ったのを鋭く聞いた――仔細《しさい》あって忘れられぬ人の名なのであるから。――
「おかみさん、この芝居はどういう筋だい。」
「はいはい、いいえ、貴下《あなた》、子供が出たらめに致しますので、取留めはございませんよ。何の事でございますか、私どもは一向に分りません。それでも稽古《けいこ》だの何のと申して、それは騒ぎでございましてね、はい、はい、はい。」
で手を揉《も》み手を揉み、正面《まとも》には顔を上げずに、ひょこひょこして言う。この古女房は、くたびれた藍色《あいいろ》の半纏《はんてん》に、茶の着もので、紺足袋に雪駄穿《せったばき》で居たのである。
「馬鹿にしやがれ。へッ、」
と唐突《だしぬけ》に毒を吐いたは、立睡《たちねむ》りで居た頬被りで、弥蔵《やぞう》の肱《ひじ》を、ぐいぐいと懐中《ふところ》から、八ツ当りに突掛《つっか》けながら、
「人、面白くもねえ、貴方様お掛け遊ばせが聞いて呆《あき》れら。おはいはい、襟許《えりもと》に着きやがって、へッ。俺の方が初手ッから立ってるんだ。衣類《きるい》に脚が生えやしめえし……草臥《くたび》れるんなら、こっちが前《さき》だい。服装《みなり》で価値《ねだん》づけをしやがって、畜生め。ああ、人間|下《さが》りたくはねえもんだ。」
古女房は聞かない振《ふり》で、ちょこちょこと走って退《の》いた。一体、縁台まで持添えて、どこから出て来たのか、それは知らない。そうして引返《ひっかえ》したのは町の方。
そこに、先刻《さっき》の編笠|目深《まぶか》な新粉細工が、出岬《でさき》に霞んだ捨小舟《すておぶね》という形ちで、寂寞《じゃくまく》としてまだ一人居る。その方へ、ひょこひょこ行《ゆ》く。
ト頬被りは、じろりと見遣って、
「ざまあ見ろ、巫女《いちこ》の宰取《さいとり》、活《い》きた兄哥《あにい》の魂が分るかい。へッ、」と肩をしゃくりながら、ぶらりと見物の群《むれ》を離れた。
ついでに言おう、人間を挟みそうに、籠と竹箸《たけばし》を構えた薄気味の悪い、黙然《だんまり》の屑屋《くずや》は、古女房が、そっち側の二人に、縁台を進めた時、ギロリと踏台の横穴を覗《のぞ》いたが、それ
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